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MY ORIGIN ~全てをもたらしてくれたボクシング~

僕たちは〈せかいのひみつ〉に向けて取材を行っています。
世界には、まだ見つかっていないモノがある。誰もまだ伝えていない、〈せかいのひみつ〉=unofficialなコトがある。これをこっそり伝える村人Aが、どこかにいる。なんとなく話しかければ、偶然の出会いが、〈ぼうけん〉=日常生活をちょっと豊かにする。僕たちは「村人Aのいる世界」を作りたい。そんな願いで、情報を発信するメディアです。

プロフィール

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 田中亮明選手 
日本のアマチュアボクシング選手。                                                                現在は、母校である中京高等学校で教師もしている
中京学院大学付属中京高校を経て駒澤大学に入学。入学後、ボクシング部に進む。
ボクシング部では、国民体育大会四連覇を達成。
東京オリンピックにて銅メダルを獲得。
亮明選手のTwitter https://twitter.com/rmabc1013

Qご自身を何かに例えると何ですか?
亮明選手 炎ですかね。自分は、燃える(勝つ)時は燃えるけど、消えるときは、ぱっと消えてしまうので。

Q試合前や人生のルーティンは何かありますか?
亮明選手 今まで沢山試合をしてきたけどルーティンは作らなかったんです。前やった事とか忘れちゃうんですよね。でも、今回のオリンピックではルーティンを作りました。作ったというより、自然に出来てしまったという方が正しいかもしれません。一回戦目でリオの銀メダリストと戦って勝ちました。二回戦目のリオの銅メダリストも強敵でした。勝ちたいという気持ちから芽生えたルーティン。入場のときに、左胸を2回叩いて、カメラに右手を突き出して、入場する。
試合を振り返ってみて、1試合目の2ラウンドから声が出てたんです。これも無意識でした。
ボクシングの練習をしてる時も気合をふり絞って声を出しているのですが、その感じに近いです。これもいつの間にかルーティンみたいになり、2試合目も同じ様に声を出していました。
今回のオリンピックでルーティンが沢山出来ちゃって(笑)でもそれが今回いい方向に行って、メダルまで繋がったと思います。
他にも、試合が終わった後に直ぐに電話を掛けたのは三人なんです。
中島会長(駒澤大学ボクシング部総監督)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%88%90%E9%9B%84
名古屋にいるコーチ
そして妻です。
この電話をかける順番もルーティンみたいになっていました。

Qプロ入りではなくアマチュアでオリンピックを目指したのは何故ですか?
亮明選手 ボクシングを中学一年生の時に始めて、当時から弟(田中恒成選手)は世界チャンピオンを目指してたけど、自分は世界チャンピオンになるつもりはなくて、高校チャンピオン位になれればいいなって思っていました。でも、弟が世界チャンピオン目指してるのに、お兄ちゃん高校チャンピオンでいいの?って言われて、だったら、アマチュアで一番凄いの何?ってことでオリンピックを目指しました。言ってしまえば、メダルまでは目指してはいませんでした。オリンピックに出ることだけが目標でした。

Q教師になろうと思ったのは何故ですか?
亮明選手 教師になったら、お金も稼ぎながら、部活動という形でボクシングに関わっていけるからです。中京高校を選んだのは母校だからです。

Qボクシングがご自身にもたらしたものは何ですか?
亮明選手 全部。
駒澤大学は人間として成長させてくれました。中島会長には最初すごく挨拶とか気遣いとかで怒られた覚えがあります。中島会長は父のような存在で、人間的に凄く成長させてもらえました。
ボクシングをやっていく上で関わってきた人たちから全て学んでいます。高校の時は石原先生(当時の監督)に練習に対する取り組みの姿勢や技術を、大学では小山田監督(現在も駒澤大学にてボクシング部監督)からボクシングの技術を学び、その延長線上に今があるから、ボクシングがもたらしてくれたものは全部です。


今後は引退して監督として活躍されるのでしょうか?という質問には「まだ未定です。」と答えていました。今後もボクサーとして活躍するのかどうか、まだまだ目を離せない選手です。

 

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