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『こんにちは、母さん』と『福田村事件』との間には

昨日に続いて映画2本。
しかも途中に歴史講座に参加する。

午前中に『こんにちは、母さん』を観て、
山田洋次的世界に浸る。
下町に生きる人たちの人情物語。
東京大空襲を生き延びた話が、少しだけ、だけど効果的にでてくる。

観終わったら、自転車に乗って20分ばかりの図書館へ。
途中、「あゆとく」でお昼ごはん。
スリランカ風のチキンカレー。
辛さ0倍でもそこそこ辛いから、3倍ぐらいで。

味はスパイスカレーなんだけど、らっきょと福神漬けが和風に引き戻す

図書館で市民講座「鉄の町かまいし歴史講座 釜石・鉄道の道ー番号で呼ばれる橋ー」を。

釜石は、日本で最初の官営製鉄所ができて、
そのために日本で3番目に鉄道ができて、
蛇行している川といくつもある小川(沢)に橋をかけた。
それが、20という数え方と17という数え方方がある。
今でもちゃんと橋として残っているのは
「五の橋」「七の橋」「八の橋」
だけ。界隈では<ナンバーブリッジ>、と呼んでいる。

ここでわかったこと。
釜石には「小佐野(こさの)」という町がある。
鉄道の駅もある。
小佐野に隣接して「小川(こがわ)」と「定内(さだない)」と「野田(のだ)」があって、
それぞれの頭文字の音をとって、「こさの」になった。
……と、ここまでは移住者みんな「なるほど〜〜」なんだけど、
「じゃあ、小佐野って名前が付く前の小佐野はなんて名前の町だったの?」
という疑問がわいてきて、そこから先にいってなかった。
「わからない」
移住者あるある、のうちのひとつ。

答えは、小佐野は埋め立ててできた新しい土地、だった。
釜石の狭い平地部分のけっこうな場所を取って流れている甲子川(かっしがわ)。
この河川敷を製鉄所からでたノロカス(スラグ)をつかって埋め立てた。
製鉄が盛んになって、人口が増えて、住宅をたくさんつくる必要がでてきて、
それで河川敷を埋め立てた。
そして新しい土地に新しい町が生まれて、それが小川と定内と野田の間にできたから「小佐野」。

もうひとつわからなかったことは、「さ」は「定内」なんだけど字は「佐」を使ってるのはなぜ? ってこと。
答えはもともと「佐田内(さたない)」という地名を、移住者たちが「さだない」といい間違えたのが定着して、それで字も「定内」に当て字した。
なので、小佐野の埋め立て地ができた当初の「佐田内」の「佐」を使っている。

【ここまで、釜石の人しかわからないネタですいません】

また映画に戻って、『福田村事件』。
これをよく映画にしたなあ、というのが率直な感想。
関東大震災による、差別と混乱と虐殺と責任転嫁。
重い映画だった。

この映画を、2日で間6本の映画を連続上映する映画フェスの最後にもってきた主催者の意図ってなんだろう、と推し量ってみた。
たとえば、わたしたちは福島に対して、差別と混乱と無関心と責任転嫁をしていないだろうか。
無関心でいることによって、ある一定の人たちを苦しめていないだろうか。
そしてまた、国策として原子力発電が続けられようとしている。
差別と混乱と無関心と責任転嫁がまた繰り返される。
とか。

関東大震災、東京大空襲、東日本大震災。

いろんな楽しみ方ができた日曜日だった。
にしても、映画を4本観ることができたのは幸せだった。