見出し画像

今朝の朝日新聞によると、
能登半島地震での避難所の水準は、
30年前、阪神淡路大震災のときと同じだった、と。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15969101.html?iref=pc_shimenDigest_sougou2_01

1995年から2024年まで何をやっていたのか。

輪島市。
市内48か所の指定避難所のうち、
26か所に水も食料も備蓄していなかった。

だから、1250人が避難した市内最大の避難所で、
1月5日まで一日一回の食料配給。
ほかの避難所では、10日後の1月10日の昼ご飯に缶詰1つ、夜は乾燥米、翌朝はせんべい1枚。

2月になってようやく段ボールベッドが搬入された。
2月になってもまだおにぎりは配られなかった。
内閣府の担当者によると、
「食中毒の恐れ」
があって、配布しなかった。

北陸の1月2月の極寒でも食中毒が怖かったのか。
それが東京の考え方か。

被災自治体からの要請がなくても物資を届ける「プッシュ型支援」に、
27億4500万円、史上最大規模の予算をつけた。

おカネはどこに消えたのか。

釜石市はどうだろう。
2011年からどう変わったのか。
現状は調べたが、13年前、30年前との比較はしなかった。

ただ、当時なかったのは、
「72時間=3日間は自力で生きろ。政府・自治体は生存者救出に全力を尽くす」
という市の方針だ。