見出し画像

コロナになっての意外なメリット

ひさしぶりにゴッチーと会って話をした。

ゴッチーとはわたしが大学生、ゴッチーが予備校のK合塾の職員のときからの付き合いで、
わたしら不良大学生がK合塾の塾内報を月刊誌みたいにつくっているときに、
ネタをくれたりアドバイスをしてくれたりしてた。
(ごはんをおごってもらったことは記憶にないなあ……)
(昨日も……)

教育のスペシャリストのゴッチーは、「教育とはなにか」というぼんやりしたテーマから、「高大接続」(分断されている高校と大学をうまくつなげていくこと)という具体的なテーマから、どこ「まで」がないくらい、いろんなことを教えてくれる。

なんでそんなによく知ってるのか、って尋ねたら、
「人の3倍ぐらいニュース見てる(読んでる)」
ネットの中には情報があふれてるし、
待ってて自分とこに落ちてくる情報のとり方に加えて、
どこにどんな情報がたまっていて、
それがいつ更新されてるのか、
そうしたポイントというか場所をたくさん知っててアクセスしている。

最たるものは、zoomなどによるライブの情報交換。

文字情報、音声情報、映像情報、と、オンラインのトークセッション。

「インターネットが世界をフラットにする、っていうのはウソだったけど」
と、ゴッチーはいう。
たしかに、インターネットなどの通信テクノロジーが発達したら、
国境などの空間、過去情報へのアクセスという時間、
言葉の障壁、フトコロ具合、年齢の上下すらなくなってフラットになる、
組織もピラミッド型からフラットな組織に、
といわれていた。

ところが、大きくはGAFA、小さくは個人のデジタルデバイドから、
どこ「まで」がないくらい、格差が生まれた。
フラットにはならなかった。

「ところが、コロナになって、やっとフラットになった」
と、ゴッチーはいう。

zoomとかTeamsとかのオンライン会議システムを使って、
たとえば高校の先生と大学の先生とジャーナリストとのトークセッション、
九州の先生と東北の職員との情報交換、
ポジション的にいろいろ、地域的にいろいろ、経験的にいろいろ、
いろんな人たちとの交流がフラットにできるようになった。

リモート会議システムでの、とくに少人数でのセッションでは、
情報はgive and take が基本。
情報だけじゃなくて、takeした情報からの解釈でgive、ということもある。
あるいは、雑談、というメリットもあるかも。

一方的一義的な情報のgiveと、takeだけしててもいいのがSNS。
give and take、あるいはgive and giveのリモート会議。

その違いとコロナになってのメリットにいまさら気がついた。