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SDGsはなぜ薄っぺらく感じるのか

わたしたちは「行き先」ばかり考えて、
「どこから来たのか」は考えない。

ポケットマルシェの高橋博之さんの「歩くラジオ」で、
ゲストが現代アーティストの松嶺貴幸さんとのトークから、
そんな言葉に出会った。

たとえば、SDGs、気候変動。
17のターゲットを定め、持続可能な社会を実現させる。
二酸化炭素を出しすぎているから、このままでは地球は持続可能じゃなくなる。

将来世代にきちんとした環境、社会を残していく。
けっこうなことだが、自分たちの足元はどうなんだ。
自分たちのアイデンティティはどこにあるんだ、どうあるんだ、と。

アイデンティティにはふたつあって、
ひとつは、自分自身のアイデンティティ。
自分のルーツも大切、どこで生まれ、どんな育ちをしてきたのか。
もうひとつは、人間としてのアイデンティティ。

自然の中で生きてきたはずで、
自然とともに生きてもきたはずだ。
自然を無視し始めて災害や公害という痛手を負い、
だから自然をコントロールし、
行き着く先がSDGsだった。

自分たちの生命でさえ制御できないのに、
自然を制御できるのか。
阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本や広島の大雨でわかったのは、
人間の想定外のことが起こったら、
人間がつくったものはそれに耐えられない、ということだった。
そして自然は、人間が想定しているよりももっと荒々しいときがある、
ということだった。

「行き先」を考えるのがバカらしい、ということではなく、
どこへ行くのかを考えるのと同時に、
どこから来たのか、を考えていけば、
薄っぺらい今の感じがなくなるのではないか。