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「その先に、楽しみはあるのか?」

ゼイタクな時間だった。
能舞台にどっかり座って、プロの講談師の講談を聴いた。

大隈塾ゼミでは、神田伊織さんをお招きした。
神田さんは講談師になる前は国語塾を開いていて、
そこの生徒だったゼミ生が、
「先生が先生を辞めて講談師になったんです」
というので、一度公演を観に行って、
ゼミでも講談とお話をお願いした。

釈台張り扇そのほか小道具は神田さんご本人に持参していただいて、
能舞台のある教室で高座をつくって、出囃子での登場から始めた。
まくらというか講談界の解説を少ししてひとくさり。
そのあと、落語の解説を少ししてひとくさり。
最後は質疑応答。

張り扇がビシッと鳴って、講談が始まった。
ビシッとした音にビクッとするゼミ生。
初めての講談、まさかいきなり爆音の破裂音がくるとは思ってもみなかった。
そして朗々と、音楽のように言葉が踊って伝わってくる。
なにを語っているのかはわからない部分もあるが、
調べにのった言葉の美しさに、
聴いているだけで心地よくなってくる。

210629「その先に、楽しみはあるのか?」

言葉の力だなあ、と思っていた。

落語が笑わせる話芸なのに対して、
講談は歴史を語る話芸。
歴史をものがたる、ということは
「太古の昔からやっていること」(神田伊織さん)

あるいは、「歴史」はつい最近の過去のことでもいい。
たとえば、阪神淡路大震災でも東日本大震災でもいいし、
今回の東京オリパラのどたばたのことでもいい。
笑わせないといけない、ということはないので、
「自分でもつくることができるのが講談」(同)
「融通のきく、自由な話芸」(同)

その自由さと、言葉によって人を惹きつける、ところに魅力を感じた。

神田伊織さんは、大学ではフランス文学を専攻していた。
文学が大好きだった。
だから、就活している友人たちを見て、
焦りと疑問を同時に感じていた。

3年生、やっとキャンパスに慣れてきたころに、
スーツを着て就活をするのが解せなかった。
友だちは、
「若いころは我慢して働く。そうして将来の自由に備える」
といった。
しかし、受験のときも同じことをいわれた。
「今は我慢して勉強する。そうして将来の自由に備える」
と。
同じことじゃないか。

しかも、働いて、結婚して、子どもが生まれて、
家を建てて、小学校中学校高校に行かせて、大学に行かせて、
子育てが終わったらもう人生半分終わっている。
我慢して備えてきた「将来」には何があるのか?

いま我慢したらその先に、楽しみはあるのか?

じゃあ、自分には何ができるのか、
と大学3年生のときに考えて、
国語塾を開いた。
ビジネスセンスはないけれども、
読み書きなら教えられるから、
国語の塾ならなんとかなりそうだ、と。

なんとかかんとかやってるうちに講談に出会い、
講談の魅力に取りつかれ、
34歳で講談の門を叩いた。

5年が経ってもまだ前座だが、
公演会はどの会も満席。

大隈塾ゼミでのひとくさり、ふたくさり。
20年のゼミでも、伝説の回となった、

ゼミ生たちは自問していた。
「その先に、楽しみはあるのか?」