ミライロ岸田奈美さん

価値を生むために必要なこと

ミライロの事業推進担当で、作家という肩書もある
岸田奈美さんが、2020年最初の大隈塾のゲスト講師。

岸田さんが書くブログは、
糸井重里さんの目にとまり、
前澤友作さんの目にもとまり、
佐渡島庸平さんの目にもとまり、
いまや作家に。

いまや、というのは、岸田さんのキャリアのスタート地点は
グランドレベルだったから。

中学生ときにお父さんを過労で亡くし、
代わりに大黒柱になったお母さんも過労で倒れ、
生死の境をさまよったあと、車いすの生活に。

気丈に明るくリハビリに励む優等生的患者の母親を、
高校生の岸田さんは、いつものように見舞った。
病院を出るとき、母のところにケータイを忘れたことに気が付き、
取りに帰ると、病室から泣き叫ぶ声が。
実は自分がいないときは、看護師に
死にたい死にたいと泣き叫ぶ困った患者だったのを知る。

あるとき、母が大好きな街に連れて行った。
ところが、街中バリアだらけで、車いすで入れる店がない。
歩けていたときにはなんの苦労もなく、
それこそ目をつぶっても歩けていた道も、
目を開けてても通れない所だらけの道だった。

母親は、
「死にたい」
といった。
優等生的、でも実は困ったちゃんだと知ってる岸田さんは
「死んでもいいよ」
と返事をする。
「でも、5年ちょうだい。5年のうちに、
死なないでよかったと思わせるから」

まだ高校生。5年という時間はおそらく、
無限大と同義だったろう。
なぜなら彼女は、
「大学に行こう!」
と決意する。
大学で4年、思いっきり勉強しても、
残りは1年。あっという間だ。

案の定、むちゃくちゃ苦労して、奇跡的に学力を上げて、
幸運にも受かった関西学院大学だったが、
法律や制度は学べても、
それで公務員になっても会社員になっても、
母親が喜ぶような社会にするには時間がかかりすぎる。

と焦っていたときに、
ミライロを立ち上げたばかりの垣内俊哉さんに出会い、
ミライロに自分と母親の未来を感じた岸田さんは、
押しかけ入社を申し出て、採用される。
ミライロ創業3ヶ月目、
自分のほかには創業者の2人しかいない。

大学に通いながら、ミライロの営業活動を続ける。

バリアをフリーにするのではなく、
バリアをバリューに変えていく。

ハードは変えられないが、
ハートは変えられる。

人生の長さは変えられないが、
人生の幅は変えられる。

オレンジ色の車いすに乗って軽妙に動き、
心に響く言葉をところどころにはさみながら
プレゼンテーションする垣内俊哉さんは、
毎日のように講演に呼ばれるようになり、
TEDで世界中にアピールし、
テレビのドキュメンタリーに出演し、
人々の耳目を集めるようになるだけでなく、
バリアフリー対策を手掛けた
テーマパークやデパートやレストランの売上は右肩上がり。
ビジネスでも成功していく。

バリアバリューは、社会にバリューを与え始めた。

その裏側に、仕掛け人としての岸田奈美さんがいる。

創業時から広報担当だった。
正しい言葉遣い、正しいテニヲハで文章を書けるようになった。
伝わりやすく、まとまった文章を書けるようになった。
会社を大きくするためには、売上を伸ばすには、
文章で、言葉で、人の心を掴まないといけない。
やがて、上手な文章に、
おもしろい発想が乗っていくようになる。

文章の基礎力、まとめ力、発想力、
垣内俊哉さんの巻き込み力で会社は大きくなり、
その一方、プライベートでは
基礎力、まとめ力、発想力に、
岸田さんのたどった厳しい過去を加えたら、
糸井重里さんの目にとまり、
前澤友作さんの目にもとまり、
佐渡島庸平さんの目にもとまり、
いまや作家に。

岸田さんのバリアは、
岸田さんのバリューを生んだ。

そして、
折れない、続ける。
考え抜く、習慣にする。

大隈塾での黄金のキーワードは、
岸田さんの生き方にもあてはまっている。