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学びはそこらじゅうでできるもの
学び、とか、学習、とかに抵抗がある人は、
「勉強」と「学び」「学習」との区別ができてないことが多い。
勉強、とはイヤなもの、強制された、という記憶。
国語算数理科社会、数学物理化学、サイン・コサイン・タンジェント。
または「学習」にしても、公民館とか学習センターとかで、
源氏物語を読むとか英会話やるとか、
料理とかダンスとか、というイメージ、印象。
それに対して、学びや学習は、好きなこと、強制されない自由である。
気楽なもの。
釣り、スポーツ、ゴルフ、カラオケ、などからの学びもある。
上手になろうとすれば、本を読んだりYouTubeで動画を見て学ぶ。
これだって立派な学びだ。
子育てだって学びの連続で、
そもそも思い通りにならない。
コントロールできない。
思い通りに動いてくれない部下やメンバー、
理解してくれない上司、お客さん。
あらゆる人間関係はアンコントローラブルだ。
それを子育ては教えてくれる。
学びはそこらじゅうでできるもの。
気楽にやれるもの。
一人じゃなくて、みんなでやれるもの。