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ストーンヘンジとレイラインの謎ーー秘教を受け継ぐ秘密結社とガイアの覚醒/星野太朗・総力特集

南イングランドの大地に立つ謎の遺跡、ストーンヘンジ。それはだれがいつ、何のために建造したのか? またレイラインと呼ばれる大地のエネルギーや地球規模のグリッド・ネットワークは本当に存在するのか?
巨石遺構の秘密とそれを受け継ぐ秘密結社、そして地球生命体ガイア覚醒の可能性に迫る。(ムー 2010年3月号総力特集)

文=星野太朗 写真=辻丸純一

息づく「聖地」ストーンヘンジの現在

ストーンヘンジ181

 ストーンヘンジは、イギリス南部、ソールズベリー平原に位置する先史時代の環状列石である。円陣状に並んだ直立巨石とそれらを囲む土塁(どるい)からなっており、世界でもっとも有名な先史時代の遺跡である。考古学的には、紀元前3100年前から紀元前1600年前の間に建てられたと考えられているが、最新の調査によれば、土塁など初期の基礎工程は紀元前8500年前まで遡(さかのぼ)るという説もある。

空撮エーベリー24

 ストーンヘンジの空撮。馬蹄形(ばていけい)に配置された高さ7メートルほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約29メートルの円形に高さ4~5メートルの30個の立石(サルセンストーン)が配置されていることがわかる。現在は周囲にロープが張られており、一般観光客はその中に入ることはできない。

ストーンヘンジ99

 ストーンヘンジの前で、キングストン大学のヘレン・ウィックステッド教授(右からふたり目)から話を聞く本誌取材班。ウィックステッド教授は、ストーンヘンジとその周辺遺跡についての調査研究を行うリヴァーサイド・プロジェクトの中心人物であり、今回は特別にストーンヘンジの内部を案内していただいた。

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 イギリス南部、サマセット州にあるグラストンベリーは、キリストやアーサー王にまつわる伝説が残る、イギリス屈指の聖地である。町の郊外にそびえる小高い丘は、グラストンベリー・トールと呼ばれ、その頂上には14世紀に建造された聖ミカエルの搭が建っている。この周辺では、古来、多くの超常現象が報告されており、異界への入り口があると信じられている。

空撮エーベリー219

 エイヴベリー・サークルは、イギリスのウィルトシャーにある4000年以上前に造られた世界最大のストーンサークルだ。その大きさは、なんと直径約380メートル。土手と溝にいたっては直径約450メートルもある。エイヴベリーとストーンヘンジ、グランストンベリーを結ぶと直角三角形ができあがることから、これらの3者は古代において、密接に関連していたと考えられている。

3000年前のストーンヘンジを再現

 謎の古代人が作ったとされるストーンヘンジは、現在でも見る者を圧倒するほどの迫力だが、建造された当時は、この再現イラストのような威容を誇っていたと考えられている。

ヘンジ全景

 中央には5組のトリリトンが馬蹄形(ばていけい)に配され、開口部は、ヒールストーンとアベニューの方角を向いていた。その周囲を直径29メートルのサルセン・サークルが囲み、さらに外側にはY穴、Z穴と呼ばれる穴が規則正しく掘られていた。
 トリリトンの開口部、ヒールストーンとアベニューは夏至の日の出と冬至の日没の方角を向いていることから、祭祀施設説や古代の天文台説が唱えられてきたが、最近では、埋葬地説、病院説など、新たな説も唱えられている。はたして、ストーンヘンジ建造の本当の目的は何だったのだろうか?

ヘンジ拡大

6000年前の祭祀遺跡が新たな可能性を物語る

 近年、ストーンヘンジ周辺で、考古学上の常識を覆すような新発見が相次いでいる。
 なかでも最大の発見は、ストーンヘンジよりも1000年も古いと考えられる、およそ6000年前の巨大遺構だ。
 英国政府の史跡保護機関である〈イングリッシュ・ヘリテイジ〉は、定期的に遺跡の航空調査を行っている。これは航空機を用いて地上を観察・撮影し、遺跡のデータを採取することを目的とする活動である。特に、古代遺跡の多いストーンヘンジ周辺では念入りな調査が行われている。
 昨年のこと、ストーンヘンジから24キロメートルほど離れたデイマーハム村近郊の農地上空を飛行していた調査員が、信じがたいものを発見した――大地に刻まれた、多数の円形紋様である。しかもその大きさたるや、大きいものは直径60メートルに及んでいた。

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ディマーハム村近郊の空撮写真。緑のなか、いくつもの円形をした古代遺跡の姿が浮かびあがっているのが見てとれる。

 それはちょうど、あの「ミステリー・サークル」によく似ていた。ミステリー・サークルといえば、「UFOの着陸痕」「プラズマによる自然現象」「単なるイタズラ」など、さまざまな説が唱えられている怪現象で、近年ではイギリスの夏の風物詩ともなっている。
 ただ、今回発見された円形模様が通常のミステリー・サークルとまったく異なる点は、その生成にあった。

 一般にミステリー・サークルは、何らかの原因によって、地上の植物が平たく押し倒されることによって生ずる。
 だが今回発見された謎の紋様は、植物が押し倒されていたわけではない。どういうわけか、その部分だけ、植物の成長が阻害され、結果的に上空から見るとミステリー・サークル状に見えたというものだったのだ。
 そこでさっそく、キングストン大学の考古学者ヘレン・ウィックステッド教授を中心とする〈デイマーハム考古学プロジェクト〉が結成され、現地調査が実施された。その結果、驚くべき事実が判明したのである。
 問題の紋様の正体は、地中に埋もれた古代遺跡だったのだ。この遺跡が地上の植物の成育を妨げ、あのような紋様を描きだしていたのである。
 圧倒的なのは、この古代遺跡の規模である。この遺跡は、「長形墓」と呼ばれる2基の巨大な墳墓を中心に、多数の木造神殿などを配する複合遺跡で、長形墓自体の長さが70メートル。これを含む遺跡全体の面積は、全200ヘクタールに及んでいたのだ。
 しかも調査の結果、巨大遺跡はストーンヘンジよりも1000年も古い、紀元前4000年ごろに建造されたと推定された。となれば、英国最古の建造物ということになるかもしれない。
 これほど巨大な遺跡の存在がこれまでまったく気づかれずにいたことは、文字通り奇蹟である。

 デイマーハム遺跡は、未だ十全な発掘調査が行われておらず、今後の研究が待たれる状況だが、このような長形墓には通常、地下に墓室があり、人骨を初めとするさまざまな遺物が納められているのが普通である。
 ウィックステッド教授によれば、一般に新石器時代のこの地域の人々は、死後は野ざらし状態で禽獣の餌食とされていたが、何らかの理由で特別と見なされた人物の骨の一部は、このような墳墓に収納されたという。
 また、この長形墓付近の円形構造物には、柱穴の痕跡があることがわかった。すなわち、かつては構造物の周囲に多数の柱が建てられていたわけで、まさにストーンヘンジと同様の構造物であったことがうかがえるのだ。

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ディマーハムの計測地図。円形の遺跡が中心だが、なかには楕円形に近いものもある。この地域全体が聖なる場であったことは間違いないだろう。

木柱が立てられた謎のサークルウッドヘンジ

 一方、2006年9月には、ストーンヘンジから2・8キロメートルほど隔てた「ダーリントンウォール」で、ストーンヘンジの建造に携わった人々が住んだと思われる集落跡が発見されている。
「ダーリントンウォール」とは、直径500メートルに及ぶ世界最大のヘンジ(環状土塁)であり、その内部にいくつかの木柱サークルが存在したことが知られている。
 この集落跡の発見は〈ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト〉の功績である。このプロジェクトは英国の6つの大学が共同で実施した大規模プロジェクトで、その名称が意味するように、ストーンヘンジの謎の解明を大きな目的のひとつとしている。
 同プロジェクトは、ダーリントンウォールの集落跡の他にも、いくつかの重要な発見を成し遂げている。
 そのひとつが、ダーリントンウォールのすぐ南にある「ウッドヘンジ」と呼ばれる遺跡の巨大石柱の存在だ。ウッドヘンジとは、ダーリントンウォール内部の木柱サークルと同様のサークルで、1925年に発見され、ストーンヘンジに対して「ウッドヘンジ」と名づけられた。

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ストーンヘンジの北東にあるウッドヘンジ。現在は柱の穴の跡を示すため、コンクリート製の柱が立てられているが、かつてはすべてが木材だった。

 このウッドヘンジは、中央部に6重の同心円を描く柱穴があり、そこに合計160本以上に及ぶ木の柱が建てられていた。柱穴の深さは3メートルほどで、木柱の地上部分の高さは7.5メートルに及んでいたとされる。
 さらに、この同心円の周囲を溝や土手が取り巻き、全体では85メートルに及ぶ構造物となっていた。

 今回、〈ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト〉によって確認されたのは、このウッドヘンジに、かつてストーンヘンジ同様の石柱が存在していたという事実だ。
 同プロジェクトのジョシュア・ポラード教授によれば、当初の木柱が腐敗した後、そのかわりとしてまず小型の石柱が立てられた。その後、小型の4つの石柱のかわりに、2つの巨大石柱が立てられたという。
 その後、これらの石柱がどうなったのかは現在のところは不明だが、ポラード教授はそれがストーンヘンジに組みこまれた可能性を示唆しているのだ。

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直径500メートルにおよぶ世界最大の環状土塁(ヘンジ)であるダーリントンウォール。内部に木柱のサークルが存在したことがわかっている。

明確に分けられた生者の領域と死者の領域

〈ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト〉のもうひとつの功績は、ストーンヘンジの小型版ともいうべき、「ミニ・ストーンヘンジ」の発見である。
 場所は、元祖ストーンヘンジからわずか1.5キロメートルほど南東のエイヴォン川西岸。発掘にあたったのは、同プロジェクトの考古学者マイク・パーカー・ピアソン博士を中心とする発掘チームである。

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ストーンヘンジ内に設置されているブルーストーン。240キロも彼方のプレセリ山地から運ばれてきたことがわかっている。

「ミニ」というだけあって、こちらは直径10メートル程度の小型の列石だが、その周囲を直径25メートルに及ぶ巨大なヘンジに取り囲まれており、構造はストーンヘンジに酷似している(ただし、現存するヘンジの構造及び柱穴は完全に地中に埋もれており、地上からは視認できない)。
 推定25個に及ぶ列石のすべてが「ブルーストーン」と呼ばれる石でできていたことから、この新たな遺跡は「ブルーストーンヘンジ」もしくは「ブルーヘンジ」と命名された。
 年代に関しては、現在ラジオカーボン法による分析が進んでいるが、同時に発掘された石器の鏃(やじり)の形式からすると、建立は紀元前3000年にまで遡る可能性が高いという。

 興味深いのは、遺跡の名称のもとになった「ブルーストーン」だ。この石は元祖ストーンヘンジに使われているのとまったく同じもので、240キロメートルも彼方のプレセリ山脈から運ばれてきたものである。
 だがその後、立石は新石器時代の人々によって運び去られ、おそらくは元祖ストーンヘンジに組みこまれたのではないか、と考えられている。
 もともとブルーストーンが建てられていた柱穴には、大量の木炭が詰まっていた。ピアソン博士はこれを、木材を燃やした痕跡であると見て、この遺跡が石器時代における火葬場であったと考えた。
 ピアソン博士は、古代人にとって、ダーリントンウォールは「生者の領域」であり、ストーンヘンジは「死者の領域」であった、と推理する。ダーリントンウォール及びウッドヘンジが「木」でできているのは儚(はかな)い生命の象徴であり、一方のストーンヘンジの「石」は死後の永遠性を表すものだというのである。
 博士によれば、当時の葬礼は、ダーリントンウォールで行われていた。その後、遺体はダーリントンウォールにほど近いエイヴォン川に運ばれ、そこで船に乗せられて死者の世界へと旅立つ。エイヴォン川は文字通り、冥界(めいかい)へと続く「三途(さんず)の川」だったのだ。
 この船が辿り着く場所こそがブルーヘンジで、遺体はここで荼毘(だび)に付され、その後、ストーンヘンジへと続く長さ2・8キロメートルの巡礼路を通って最終的にはストーンヘンジに葬られた、というのが博士の見解だ。
 ストーンヘンジの柱穴からも火葬後の遺骨が発掘されているので、ピアソン博士のこの見解は妥当性の高いものといえるだろう。

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ストーンヘンジ周辺における、古代遺跡の配置図。北東にウッドヘンジとダーリントンウォールが確認できるほか、無数の円墳があることがわかる。

遺跡と自然物の相互ネットワーク

 だが、それでもなお疑問は残る。古代人が人間の死や埋葬などをきわめて重視したことは事実だとしても、それだけであの規模の建造物を、あの場所に建立する理由になるだろうか、ということだ。
 その疑問については本特集において考察を加えて行くことになるが、ここで指摘しておきたいのは、博士の卓見は非常に重要な事実を示唆している、という事実だ。

 そう、博士はストーンヘンジは単独で存在したのではない、と述べているのである。博士の説によればストーンヘンジとは、ダーリントンウォールとウッドヘンジ、そしてブルーヘンジという他の3つの遺跡、さらにエイヴォン川という自然物があって初めて機能するものだった。
 そこに示されているのは、複数の古代遺跡と自然物とを繋ぐネットワークの存在である。
 前述のジョシュア・ポラード教授によれば、ストーンヘンジ近辺に残る伝承や古地図などからして、ストーンヘンジ周辺にはさらに数多くの、大小さまざまな遺跡が存在していたと考えられるという。
 さらに、マンチェスター大学の考古学者ジュリアン・トーマスに至っては、ストーンヘンジ周辺の遺跡は元来、ストーンヘンジ自身と密接な関係を持ち、ストーンヘンジの力を周囲に拡散させる働きをしていた、とまでいうのだ。

 古代遺跡と自然物のネットワーク――といえば、必然的に思い浮かぶのが、古代秘教哲学の精髄ともいうべき「万物照応」論である。「上なるものは下なるものに似る」という金言に要約されるこの思想が、ストーンヘンジを築いた人々のなかにも存在したのか。そして今、ストーンヘンジ周辺で新たな発見が相次ぎ、慌ただしさを増しているという事実も、そのことと関係しているのか――?

 その謎を解くために、次章ではまず、ストーンヘンジの建造目的について考察しよう。

ストーンヘンジ建造の真の目的とは何か?

 パート1では、近年、特にストーンヘンジ周辺で重要な考古学的発見が相次いでいるという事実を見た。そしてストーンヘンジは、どうやら単独の遺跡ではなく、周辺の数多くの遺跡群と関連し合い、何らかのネットワークを形成しているという説が、正統派考古学者の間でも有力な方法論として認められつつあることをご紹介した。
 本章ではまず、ストーンヘンジとはどのように建造されたのかということについて触れ、その後、これまで多くの人々がこの謎の遺跡をどのように解釈してきたかを瞥見(べっけい)することにしたい。

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