言葉の濃度のようなもの

例えば、「戦争」という言葉と「殺し合い」という言葉を比べた場合、前者の方が自分自身に関係する感覚が後者より希薄な感じがするし、後者のほうが血の臭いが濃い気がする。

極端な例えかもしれないが、自分が国の支配者である国王の立場であり、かつ隣国と戦わざる得ない状況だとして、国民に「戦争をしましょう」という言葉と「殺し合いをしましょう」という二つの言葉をどちらかを選択するとしたら、「戦争をしましょう」と言った方がなんとなく罪悪感が薄れるような気がする。

こう考えると言葉には臭いや濃度というものがありそうだけども、
「大勢に関わることが語られる場合に使用される言葉」と「少数に関わることが語られる場合の言葉」について臭いや濃度を調べてみると何か面白いことがわかるだろうか?
まぁ、そのためには一つ一つの言葉について臭いや濃度を調べる必要があるけれど、そういうことに関しては詩人とか歌人とかの人が鋭い感覚をもっていそう….

もし、ある日突然「戦争」と言う言葉が存在しなくなって、今ある世界中の「戦争」と言う言葉が「殺し合い」に置き替ったら何かがかわるかしら?

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