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Black lives matter とデモ活動

 またも悲劇が繰り返された。2020年5月25日、米国ミネアポリス近郊で、アフリカ系アメリカ人(以降、論点を明確化するために黒人と記載する)のジョージ・フロイドが、白人警察官の拘束により命を落とした。この事件をきっかけに全米各地だけでなく世界各国にBlack lives matter (本来のニュアンスがよく分からないので翻訳は困難であるが、一般的には「黒人の生命が大事だ」と訳されている)の合言葉を掲げたデモが広がった。人種差別という米国の宿痾でもある問題に安易にコメントするには相当の覚悟がいるし、また、これまで繰り返し議論されてきた問題でもあるのだが、少し意見を述べておきたい。同じ非白色人種の日本人としてはやはり見過ごせない問題であると同時に(私は黒人に対して同情的な感情のみを抱いている訳ではない。黒人から差別を受けた経験もあるからだ。)、やはりこの手の問題につきものの、ある種の「いかがわしさ」に眉を顰める部分もあるからだ。

白人警察官 VS 黒人の構図

 白人警察官による黒人犯罪者(または犯罪者と疑われた人物)の殺害はこれまで幾度となく繰り返されてきた。中には、完全な人種差別意識を伴った殺意からその凶行に及んだ事例もあっただろう。また、中には体格の大きな異人種、しかも凶悪犯と対峙する恐怖感から、過剰防衛に走ってしまったものもあっただろう。時には正当防衛のケースもあったかもしれない。警察の蛮行による死傷者が後を絶たないのと同様に、犯罪者との乱闘により命を落とす警察官の数も相当数に上ると言われている。今回のケースがどういった理由によるものかは現状分からないが、ジョージ・フロイドが過去に薬物所持や窃盗、武装強盗などで逮捕、収監されている人物であったという事実を割り引いても、流布している画像を視聴する限りは(これがフェイクニュースであれば前提が異なるので、あくまで映像の印象だという前提で述べるが)、結果的には警察官に非がある様に思われても仕方なく、ここは司法により適切に裁かれることを期待する。現在のところは殺人罪で起訴されている様であり、まだ判決確定前ではあるものの、ここは1992年のロサンゼルス暴動(警官に無罪判決が出た)と大きな違いである。因みにミネアポリスが所属するミネソタ州は、保守的な国民が多い中西部にしてはリベラルな土地柄とされており(前回の大統領選では周辺の州で唯一民主党が勝利した)、難民の受け入れに極めて積極的である。事実、執筆者が現地を訪れた3年前も、利用したタクシーのドライバーはソマリア難民の出身であった。この逮捕された警察官の妻はラオスの少数民族であるモン族の難民家系であるとのこと(出所: ウィキペディア)らしいが、それが当人の人種意識にどの様な影響を及ぼしたのかを測ることはできない。しかしながら、人々の感情としてはやはり白人警官による黒人への差別という構造に帰着してしまうのであり、そうなってしまうことが、人種差別問題の抱えている根本的な問題と根深さを露呈している。

デモの目的は何なのか

 ジョージ・フロイドの死をきっかけに、各地で人種差別に抗議するデモが起きており、それが一部では暴徒化し、またもや略奪行為にまで発展している。しかしながら、今回のデモの目的があまりよく分からない。警官は既に逮捕されているし具体的なターゲットがないのだ。そもそも、今回の事件が人種差別を原因としていると判断された訳でもない。もちろん、米国社会に根付く差別意識に警鐘を鳴らし、抗議するデモはあって良い。今回も最初はその様なムードだったのかもしれない。しかし、いつものことであるが、明らかに善意から始まったデモ活動が悪者に乗っ取られている気がしてならない。

デモを悪用しないでほしい

 日本でテレビを観ているだけでは、今回のデモは依然として平和裏におこなわれているのか、あるいは暴動に乗っ取られているのかは判然としない。ただ、世論は明らかに過激な方に動いている。今回のデモを過激化することによって、逆にデモ隊の正当性を奪おうとしている人間がいたのかもしれないし、極左団体がデモを乗っ取ったのかもしれない。また、貧困層がこのデモに乗じて富裕層からの略奪を企図したとしても、それはよくある話だ。我々がマスコミの扇動に流されない様にしなければならないのは、デモと暴動を分けて考えなければならないということだ。確かに対立を煽るトランプ大統領の言動には眉を顰める向きも多いが、強奪された被害者にとって、治安回復が何よりも優先される事項であるのは間違いなく、悪戯にトランプをヒール視したがるニュースの偏向ぶりには正直、辟易してしまう。

差別と言われれば誰も逆らえない

 この様なことを書けばトランプ・アレルギーの知識人層からはお叱りを受けるだろうが、そもそも、トランプが人種差別を煽っているというマスコミの決めつけは如何なものであろうか。私はトランプ信者でもないし、米国在住の友人が、「トランプが大統領になってから、アジア人に対するあからさまな嫌がらせを多く受ける様になった」との声も聴いている。トランプが大統領に就任してから、白人がそれまで隠していた潜在的な人種差別意識を隠さなくなったのも事実だろう。しかし、彼が今まで取り組んできたのは、あくまで違法移民に対する処罰であり、合法的な移民に対しては何も差別的な政策を実施していないし、彼の口から人種差別的な言動がなされたことは、少なくとも大統領就任以降は無いと思う。今回も、デモに名を借りた略奪行為に及んだ者への厳然たる対処をおこなったのであり、決して黒人差別行為ではない。それを、人種差別と結び付けたがるマスコミと、それに踊らされる無思慮な「善意ある」市民が、今回の騒動に無意識に加担している気がしてならない。一旦、差別という認定がなされてしまえば、もうそこからは一切の正論が受け付けられず、差別された側に味方する層の行為は、かなりの部分で容認されてしまうのである。誤解を恐れずにいえば、この構図は日本が現在直面している様々な差別問題や、いわゆる慰安婦問題、徴用工問題などでも同じである。そこに差別があったと言われれば、かなりの無理難題でも正当化され、結果的には違法行為までまかり通ってしまうリスクまで孕んでいるのである。繰り返し言うが、差別という行為は人類共通の敵であるし、差別解消に資する取り組み、差別に対する抗議デモ自体にはまったく問題ない。ただ、その行為に何らかの悪意が入り込み、デモ行為自体を利用し己の利益を追求しようという輩が出てくることには、冷静に目を光らせている必要がある。個々人の純粋な行為を邪な目的に利用されない様にしなければならない。

 


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