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怖さと向き合う意味#6月号あとがき

逃げるは恥だが役に立つ

「逃げるは恥だが役に立つ」とはハンガリーのことわざで、例え逃げて恥をかいたとしても生き延びることの方が大切という意味らしい。最近このことわざがタイトルとなったドラマの主演俳優が、劇中の役どころそのままに夫婦となるというニュースが日本全土を驚かせた。

当然ぼくも例に漏れず、スマホの通知画面を見るや否や今年一番大きな声を上げたものだから、奥さんが「どうしたのっ?」と慌てて反応したのも無理はない。なにせ息子に「パパは声が小さいから何言ってるかぜんっぜん聞こえない」って説教されるくらいのぼくから発せられた70デシベルなのだ。

きっと奥さんがぼくのしゃっくりを止めるのに「新垣結衣が離婚した」と不謹慎な嘘をつく日も近いだろう。

日本中を絶叫に包んだ渦中の二人が恋に落ちるきっかけとなったであろうこのドラマにはぼくもハマって、当時は自己肯定感が低い主人公の津崎平匡に自分を重ねては、人知れず泣いた。

この話を他人にするたびに相手の口が「今からピンポン球咥えます」って態勢になるから、それ以来自分の中では「逃げ恥の話」はタブーになっている。


逃げたまま終わるドラマはない

「逃げるは恥だが役に立つ」とはいうものの、このことわざの意味を平匡が解説するのはドラマの序盤の話で、ドラマの終盤には平匡がみなとみらいの桟橋で一人悶絶した後、「逃げちゃダメだっ!」って猛烈ダッシュでみくりの元へ駆け戻り、無事童貞を卒業するのだ。

結局、自己肯定感の低い主人公が自分に代わって「逃げること」を全肯定してくれるわけでは決してなく、「おれでも勇気出したぞ。キミはどうする?」って、「上野クリニックのCMを豪華キャストで長編化してみた」みたいなドラマがこの「逃げ恥」の正体であって、すべては「最後に勇気出す前提」の話、なのである。

逃げたまま終わるドラマはない。それをみんな望んでいるからだ。


向き合うってどういうこと?

「向き合う」って内省好きの人がよく言う。改めて指摘されると恥ずかしいけどぼくのことだ。へいへい、脳内ポエマーの語彙力の無さが露呈されるからやめてほしいのが、「”向き合う”ってなんですか?」っていう質問。

しかたない、今日は星野源と新垣結衣、いや、津崎平匡と森山みくりのご多幸に免じて答えてあげよう。

「向き合う」とは、自分の『怖さ』を直視するってことです。


いったい何と向き合ってるのか?

カフェでノートを開いて、自己対話。これを「自分と向き合う」というなら、「そもそもなぜ自己対話する必要があるのか?」って話である。だって「こうすればいい」「ああすればいい」ってのは本屋さんに行けば、いずれかの本にはしっかりと書いてあるのだから。

なんでわざわざノート書くの?って話だ。


一言で言うならそれは、

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