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プロフィール

2020年12月現在、満35歳の私です。

一人の大人として、日本から認定された「ハタチ」の頃から15年が経ちました。老けたなーってすごい思う反面、あまり後悔のない人生だったように思います。

いや、そうでもないかなー💦ここ数年でそう思えるようになったのかも。

記憶力が乏しく、あまり過去のことを覚えれない性分です。何事も前向きという言葉に逃避してますが、基本的に集中力散漫で、なにかと欠乏気味です。これに関しても、特性をまとめて、また記事にしてみたいと思っています。

改めて、自分の経歴を振り返ってみようと思います。いろんな方に自分のことを知ってもらえると嬉しいです。


新卒:大阪 真生印刷 「営業・ディレクター時代」

四天王寺大学(通称:IBU)という大学を卒業して、はじめに就職したのがココでした。

漠然と小説家になりたいと思っていた自分は、就職自体にあんまり興味がなかったので、実家に居続けるための手法として、とりあえず就活していました。この頃は、尊敬できる大人に出会えてなかったんだろうな。


小説家になりたいし、出版社に入ろう → エントリー時期が終わってた。

じゃあ広告会社に入ろう → その頃、大阪では企業が少なかった。

じゃあ紙媒体でもいいか → 印刷会社 という流れです。


真生印刷は住吉大社駅に会社があり、春には桜のキレイな街でした🌸

メンバーにも恵まれ、とてつもなく楽しい会社でした。労働時間でいうと、めちゃくちゃ働きまくってた記憶がありますが、周りに恵まれ、体力もある年齢だったので、振り返ってみると、とにかく走り抜けたって感じです。

今でも、LINEグループで交流したり、たまにみんなで呑んだりしてるので、サラリーマンになっても、青春させてもらったなーって感じです。変な人多かったので、みんな今でも大好きです(笑)

この時期はエレクトロって音楽に衝撃を受けたり、登山にめちゃくちゃハマった時期なので、これもいつか書きたいと思います。

何事も3年と思っていた事と、これからはITの時代が来るなと思ってたこともあり、3年で退社→転職活動開始!となりました。


25歳:名古屋 TOYOTAコネクティッド IT営業時代

職業訓練校でIT関連の資格を取って、薄い知識なりにガッツのみで、東京のIT企業に就職が決まりました。

最終面談日が、東日本大震災の2011年3月11日だったので、色々めまぐるしく一気に動き出した事は今でも覚えています。

そんなこんなで、何故か最初の出向先が東京でなく名古屋になりました。

すごく拒んだのですが、最後の決め手は「家賃は会社が負担するよー♬」でした。


僕がいた頃は、トヨタメディアワークスって社名でしたが、毎月歓送迎会があるくらい、人の出入りが激しかったです。今は正社員が978名(2020年9月末時点)のようです、僕の時は200名くらいでした。すごいペースですね。

そこでGAZOO.comという「クルマのmixi的なサイト」の、営業を担当しました。取引先もTOYOTAなので、みんな身内ですが、熾烈な争いも多かったように思います。

3年単位で、発注会社とベンダー同士が入れ替わったり、出向会社同士での派閥争いとかも、今思えばあったように思います。パソナテックから来てる人がすごく多かった。僕は神経が鈍かったので、そういうのには巻き込まれなかったですが、精神的にやられちゃってる人も多かったです。


イベントにもたくさん関わりました。ニュルブルクリンクの24H耐久レース、東京オートサロン、大阪オートメッセ。やっぱりイベント事業は楽しいです。

その頃はナイトクラブでもPartyの主催などしてたので、イベント三昧でした。今でも、名古屋に戻るとあの頃のメンバーが熱く迎えてくれるので、第二の故郷と勝手に思ってます。人の優しさに沢山触れた20代中盤でした。


東京に行く!と言ってたのに、気づけば名古屋で2年過ごしてしまっていたので、東京に行けないなら辞めます。と伝えて、退社しました。

今の、TOYOTAの「KINTO」の考え方にはすごく共感できるので、またいつか仕事で関わってみたいです。


27歳:東京 ASOBISYSYEM 音楽・マネージャー時代

僕が東京に行く!と大阪のフリーター時代に息巻いて発言していたのは、音楽が好きで中田ヤスタカさんが大好きだったからです。

「有言実行、自分にプレッシャーを!」の精神で、アソビに入りたい。アソビに入る。と言いまくってました。HPとかイベントも調べまくっていて、もう会社のファンでしたね(笑)

音楽・エンタメ求人情報の「Musicman」を見ても、なかなか求人のタイミングはありませんでした。僕が最終的にはとった手段は直談判です。中川社長と話せる機会があったので、入りたい事を熱心に伝えました。それが入社のいきさつです。


僕が入社した2013年のアソビは音楽業界でも破竹(はちく)の勢いでした。毎日スリリングでとても興奮して過ごしていました。

今思えば、その頃にもっと他の社員の人を知る。自分を知ってもらう。って行動をしていればよかったように思います。

僕みたいに、社長の直談判で、知り合いのいない状態で入社したメンバーはほとんどいなかった事や、会社自体もイベント・モデル事業から、芸能事務所に変革のタイミングだったので、「イベントチーム」として、入ってきた僕はみんなと接点が少なかったように思います。


人生で初めて挫折したのは、ここでした。


自己評価もプライドも高く、結果が伴ってない現状を正しく指摘頂いてたはずなのに、それに自分がようやく気づけた瞬間、心が「ポキッ」と折れてしまっていたのです。

自分を見つめ直す機会となりました。


29歳:大阪 TryHard Japan イベント・DJスクール

イマココです。

大阪に出戻った僕は、とりあえず再就職して(とにかく自信家でした)、またぼちぼちDJやろうってテンションでした。その時に、DJ TAKU-HERO君という先輩に機会を頂き、トライハードのDJスクールに関わる事で、正社員として雇用いただけました。

自分は就職して、7年目になります。

会社のやってる事業や、そこで経験している事は、また一つの記事として書かせてください。とにかくすごい会社です。ここで役員を勤めている事は、僕にとっての誇りになっています。


他 アルバイト 〜こんな事したよ〜

学生時代、フリーター時代(24-25歳)を経て、こんな事も経験しました。

・飲食店(王将、サンマルク)

・コンビニ(セブンイレブン)

・接客(イオン 紳士服飾)

・クラブスタッフ(南船場CELL)

学生時代、もっと面白い、不思議なアルバイトしとけば良かったなー。


という感じです。

なんだかんだ3,000文字くらいになっちゃった。

書くのって楽しい。以上です!

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