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HIPHOPオープンダイアローグ

どうも前々からオープンダイアローグリフレクティングとHIPHOPがとても似ている感じがしていた。
最近出版されたダースレイダーの著書「武器としてのHIPHOP」にも影響をうけながら、それについて書いてみる

混沌、不確実にあるフロー

ストリート、クラブカルチャーであるHIPHOP
そこは混沌の場所であり、システムとすこしずれた場所。そういった空間に社会的身分、役割、年齢を超えたひとが混在している。そこにはビートがながれる。ビートは2台のターンテーブルをいききすることでループされ、行き来し、重ねられ、フェードインフェードアウトされ途切れることがない。そういった変化する還流のビートは絶え間なく空間を振動させる。そして人々は首を振り身体をゆらし、はフロー(流れ)を生む。
フローのなかにラップがあり、ダンスがあり、グラフティがあり、それがまたフローをつくり循環する

 オープンダイアローグの原則のひとつにも「不確実に耐える」というが、世界はそもそも不確実でカオス。


 世界は、社会は、人の身体は、循環し流れている。フローがありそれぞれの世界が流れている。ただそのフローが滞っている状態のこともあり、そうなると不具合も生じてくる。
 たとえば、いわゆる病気にかかると、身体のなかの流れが変わる。血液の流れが滞ると脳梗塞にもなる。対人関係の流れが滞り、孤立していきとても困難な心境に陥る。さらに、社会とのフローを閉ざすとお金や人の助けを受けられず、フローがなく門が閉じていく。そうした状態のフローにバイパスをつくったり、流れがとまらないようにしたりしていく。また、対話によって関係性を取り戻し、対話によって対話の流れを豊かにしていくことで関係のフローを耕していくのがダイアローグのひとつの側面であるとも思う。

サイファー・輪

 HIPHOPでも輪をつくりラップやダンス等のサイファーを行う。オープンダイアローグにおけるリフレクティングの説明は省くが、リフレクティングでは二つの輪(サイファー)をつくり対話的やりとりを交互に行う。共通するのはサイファー。そこは好きに行き来できる場所であり、そのときは社会的立場や役職は関係ない。
 hiphopの界隈では本名ではなく、aka (as known as)〇〇、といったように普段の親からつけられた名前とは違う名前で活動しているひとも多い。普段の社会の名前とは異なり、そこに役職や役割の縛りはない。呼び名を変えるということは対話に必要な対等性に影響する。オープンダイアローグでも、「〜先生」と呼ぶのを避けることがあり、ファーストネームで呼んでもらうようにしているのも無関係とは言えない。
 そしてそのサイファーのなかで、HIPHOPではラップや踊りのかけあいを行い、オープンダイアログでは言葉のかけあう。対等な関係性のうえでそのサイファーの門はひらかれており、輪にいるひとと、その場の共通感覚基盤に揺れながら、たがいにラップしダンスし言葉をかわしていく。

HIPHOPではその共通感覚基盤が耳に聞こえる音としての外的リズムやビートでありも、オープンダイアローグでは心の躍動感といったような内的なリズム、ビートでもあるかもしれない

MC、聞き手・ファシリテーター

 そのサイファーの門に自ら入れるひともいるが、そうでないひとにもいる。そのために現場にはHIPHOPではMCがいる。MCが参加者に声をかけその門をくぐることをいざなっていくこともある。

門をひらきグルーブをつかんでいくMCは、外と中をつないでいく。
オープンダイアローグでいうMCは、まるで聞き手・ファシリテーターであるかのよう。話し手がサイファーの門をあけやすいようにいざない、場を椅子を用意しサイファーをはじめる声をあげる。そしてリフレクティングの場で適度にタイミングをみて、もうひとつのサイファーへの門を開いていく。二つの輪、サイファー。それはまるで二つのターンテーブルのようにも感じられる。
リズムにビートがうたれ、それに乗りそれぞれのひとが、首を振り、身体を動かしその共通感覚のなかにいることでフローが生まれていく。その流れにのり、二つのターンテーブルが入れ替わり、ときに重なり、フェードイン、フェードアウトしていく。

リズム、ビート

リズムは具体的に鳴っている音だけでなく、そこにある躍動感も含む。HIPHOPではその共通感覚基盤が耳に聞こえる音としての外的リズムやビートでありも、オープンダイアローグでは心の躍動感といったような内的なリズム、ビートでもあるかもしれない

 HIPHOPでは音楽がそのビートを奏でているが、リフレクティングではビートは聞こえない。ただ対話が行き来きし、参加者の息が合い、場のワクワク感、温かさの表出は躍動感を生む。それは内的なリズムやビートとなっている。
 HIPHOPもリフレクティングもそのときのリズム、ビートのなかにいざわなれていくと不思議な共通感覚のなかに居るような感覚を得られ、自分が存在しながらもその輪、音のなかで生まれるフローに溶けていくような感覚になっていき、個の境界線があいまいになっていく。

中動態的

わたしもダンスをしている人間だが、実際ビートの流れに乗って踊っていると、自分の存在がその輪のなかで、音のなかで溶けていくような、アメーバのようにフローのなかに溶け込んでいくかのような感覚に陥り、身体が自然と動く、動かされるようなどこからやってくるのかわからないような感じを体験することもある


また、ラッパーダースレイダーによると「ビートに乗りラップしていくと言葉が向こうから次々とやってくる感覚に見舞われることがある」という。音楽をループさせ、言葉をループさせ、ターンテーブルをループさせ、ループさせていくことで、重なり、何かが呼び込まれたかのように言葉が生まれ、踊りが生まれる。それはどこから来たのかわからない境界が、個があいまいな状況ともいえる。まるで中動態のように。

ダースレイダーによれば、「言葉は箱であり、中身は問わない。ラップではその箱を組んでいき後発的に意味が生まれてくる」とのこと。
リフレクティングにおいてトムアンデルセンも、「表現が先で後から意味が生じる」、とも話しておりそれは共通していることばにも感じられる。また、トムアンデルセンは「言葉は多様な言語のひとつでしかない。奏でること、踊ること、描くこと、料理 することなども全て言語である」と話している。
HIPHOPにおいてもラップ以外にも踊りグラフティ、音楽など表現は多岐にわたりそれぞれの人が乗りやすいやりかたでビートに乗っていく。やがて次第に意味が生じてくることもある。

揺れる、音楽

サイファーの中では何かを共有しているようでしていない。ただそこで何かに響きあい、共に揺れている感覚を持つ。揺れるということも気になる。前のnoteでも書いたが、ホイヘンスは同じ壁に並んでいる壁時計を見て、その両者の同期の発見をした。ホイヘンスは、振り子が伝える壁の振動により、他の壁時計の同期現象が生じていたということに気づいた。

スピノザは言葉のもつ音について着目しており、「母音は音楽の音だ」と言及している。また、 言語学者の時枝誠記も言葉のもつ音楽性に着目しており、彼は言葉の一番根底にあるのはリズムであり、まずリズムがあって、その上に単語が乗っていると。スピノザ、時枝は言葉のもつ音楽性において関連しており、音は何かを振動させることとも関連していることだろう。対話においても、それは言葉がさまざまなリズムや音が混然として響きあっていくことで、 そこに「居る」人々が揺れ合う、同期現象に関連しうる、共振の感覚にも近いことを伝えようとしていたのではないだろうかと思う。

サンプリング、ループ

 そしてHIPHOPではサンプリングを行う。サンプリングしたものごとをブリコラージュさせる。言葉、文化、表現、環境を活かしていく。
DJによる音のサンプリング。ダンスでは他の踊りや要素をサンプリングし発展させてきた。グラフティでは背景、環境をサンプリングし、ラップでは言葉をサンプリングする。
一方リフレクティングでは、相手の言葉を活かして話を対話をすすめていく。相手のことばをサンプリングしていくのだ。


hiphopではターンテーブルという二つの円盤を行き来しながら、音楽が流れ、奏で、ループさせていくことで新しいフローが生まれてくる。
リフレクティングでは二つのサイファーが行き来しループしていく。それはまるでターンテーブルのよう。


さて次は何をサンプリングするのか。わたしはHIPHOPとオープンダイアローグがサンプリングしあうことで何が起きるかを期待している。異文化と異文化のサイファー.。そのサイファーというターンテーブルを行き来させることで何が生まれていくだろうか。楽しみ


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