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【5日目】モトで造られた物体が「移動する」原理(セカイのトリセツ)

◆モトの出現と消滅、空間の表裏というパラダイムシフト

 このエキスパート編、序盤からどんどんブッ飛んだ内容になってきましたね……。アタマを柔らかくして、じっくり取り組んで下さい。
 前回の内容は「モトは移動しないけれど、物体の移動を司(つかさど)る」というのはどういうことか? という説明の導入です。そして今回が、それを踏まえてこの「物体の移動」という現象の本質に迫る内容となります。

 前回は難しかったと思うので、ちょっと復習しましょう。素粒子モトがモトあつめなどで空間に「出現する」「消滅する」のはなぜか? という疑問の答えは

空間の『裏側』から『こちら側』に出たり戻ったりするから

です。
 そもそも論として、僕たちが住んでいる【地獄】という名の三次元空間には「表側」と「裏側」がある、という話なんです。まずはそこからイメージしていただかないといけない話でもあります。前回出てきた紙の世界に住む棒人間の話よろしく、僕たちには今住んでいる世界の「裏側」を絶対に知覚できませんから、この「空間の裏側」をイメージすることは、人によってはとても困難なことなのかもしれないと思っています。思考のパラダイムシフト(常識をくつがえすような新しい考え方への変化)が必要かもしれませんね。

 そしてその上で、実は僕たちが見たり触ったりできる「物体」が「空間を移動する」ことができるのはこの仕組みがあるから、という話につながっていきます。モトは「素粒子」だから、物質を形作っているものでもあるんでしたね……「動かない粒子」モトでできている物質が「動く」ための仕組みというのは、この「表と裏を行き来する」という「次元を超えた別方向の動き」によってもたらされている、というちょっとむずかしい話になります。


◆物体が地獄空間を「どうやって」移動しているか

 では今日はちょっとした思考実験から始めましょう。たとえば(ありえないことではあるのですが)
「モト粒子が一個」
という物体が地獄世界にあるとしましょう。これを水平方向に「移動」させるにはどうすればいいか? を考えてみます。

 以前書いたとおり『モト』という粒子は、ひとつぶひとつぶが地獄空間の「とある座標」に固定されていて、その場所から絶対に移動しません。ただし
『三次元空間の「表側」(地獄の空間)と「裏側」(未知の空間)の間を出たり戻ったりできる』
という性質を持っているので、今僕たちのいる【地獄】の空間から見たら「消滅する」「出現する」ということだけはできるわけです。
 こういう性質の『モト』がギチギチに配置された地獄空間で、モト一個分の「物体」が水平に移動するには、どうしたらいいか?

 答えはこうです。まず、最初の座標にある『モト』が「消滅」します(裏側に引っ込む)。そして、すぐとなりの座標にある『別のモト』が「出現」します(裏側から出てくる)。これで、一つとなりの空間に「物体が移動した」ように見えます。これを繰り返すんです。
 この一連のモトの動きを図にすると、次の図2のようになります。

※図2:モト一個分の物体の移動モデル

 この図のようにモトが「消滅」と「出現」を繰り返すことによって
「物体が移動しているように見える」
という現象が起こります。
 以上が「動かない素粒子『モト』が空間を『移動』できるのはなぜか?」という疑問の答えとなります。


◆物体は「モトの明滅」によって動いて見えている

 つまりです……本当にびっくりする話だと思うんですが、よく聞いてください。

 すべての「物体」は、先ほどの図のような「その座標にあるモトがいったん消滅し、すぐとなりの座標に出現し直す」というまどろっこしい原理で「移動」していることになるのです。実際には「物体」を形作っているモトの数は、たとえ小さな石ころであっても天文学的な「個数」になるはずなのですが、あなたが蹴っ飛ばしたその石ころが飛んでいくのは、その天文学的な個数のモトがこういうふうに「出現と消滅を繰り返している」からで、それは言い換えれば「モトの明滅」が起こしている『現象』なのです。

 そしてもちろん、今、僕たちの目の前にあるコップやペンやテーブルといった物体や、動物の体や「あなたの肉体」ですら、すべての物体はこういった

モトの明滅によって「動いて見えている」

だけなんです!!!!!

 本当にね……にわかには信じられない話だと思うんです。僕たちの目の前にある物体というものは、少しでも移動したらもうすべてが「別のモト」に置き換わっている、ということなんですから。移動しているその物体は、一秒前の「その物体」とはすっかり別の座標の『素粒子モト』によって構成しなおされている、ということなんです。
 ウソみたいな話ですよね……。ですが『モト』という粒子が本当に「素粒子」であって、ゆえにそれらがすべての物質の素になっているとしたら……そして同じ『モト』によって僕たちのココロが形作られていて、入門編から上級編までで語ってきたような「性質」を持っているんだとするならば……。
 どう考えても、この世界に実在する「物体」というものの実際の姿は「モトの明滅」によって表現されているもの、という結論になってしまうんです。

 こう言ってしまうと誤解を生むかもしれませんが、こう考えていくと、いうなれば物質というもの・物体というものは本質的に、よくできた

「触ることができるマボロシ」

のようなものなのかもしれません。
 そうは言っても、やっぱりトガッたものが足の裏に刺さると痛いですし、好きな人の髪はさわり心地がいいですし、ですから物体というものが本当は「モトの明滅というマボロシ」であったとしても、僕たちがそれらに触ることができる以上、それは「今起こっているまぎれもない現実」という『現象』ではあるのですよね……理解が難しいところです。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)