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【エッセイ】『1987年のポカリスウェット』

 今日は「飲食物の恨みは恐ろしい」というありふれた話をする。 これは三十五年も前の話なのだが、当事者であった福岡の兄は今でも、白髪アタマの僕の老け顔を見るたびに
「忘れとらんけんね」
と冗談まじりにに言い放つ。

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 その日はカンカン照りで、五月だというのに初夏というよりは真夏だった。ましてやうちの中学は「六月一日が衣替え」と厳密に決まっていたため、制服は真っ黒の学ランである。ムダに生真面目だった僕は下着とカッターシャツまで着込んでいたため、体感温度は多分三十度以上。当然帰宅したときには汗だくで、喉もカラカラだった。
 家に飛び込んで上着を脱ぎ捨てると、一目散に冷蔵庫へ。何かこのヒドい乾きを潤してくれるものがあるはずだ。

 目に飛び込んだのは、鮮やかな青いラベル。当時はガラス瓶入りだったポカリスウエットが「飲め」とキラキラ僕を誘っていた。拒む理由が一つでもあろうか。僕は迷わず青いリングプルを引き、瓶を開けて一気に中身をあおった。爽やか!

 その時である。

 自分と全く同じシチュエーションで帰宅した二つ上の兄が、絶望的な目つきで口をあんぐり開け、震える手を伸ばしながらこちらを見ているのに気づいた。ちょうど僕が最後の一口を飲み干した瞬間、こちらと目が合ったのである。
 後で聞けば、その日帰ってから飲もうと、前日購入して冷蔵庫に仕込んでおいた張本人が兄上だったそうだ。あの暑い一日、冷蔵庫にオアシスがあることを信じて砂漠を渡ってきた兄のキャラバン隊は、それが目の前で蜃気楼に変わるのを体験するはめになったのだ……出来の悪い弟のせいで。

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 もし逆の立場だったらたぶん自分も三十五年後に「忘れてへんで」と言い放つだろう。実家を出て二十余年、顔を合わせない期間が兄のその「恨み」を蓄積させているのか、会うたびに必ず語られる笑い種となっている。

2022年2月 日南本倶生(ひなもとともき)

※今月の課題図書はこちら

『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
(ブレイディみかこ)

★追記★
今回の作品は、主催者の城村典子先生より『城村賞』を頂きました。
やったね!!

https://note.com/munchausen/m/m0d5d7779541b


「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)