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【17日目】カラダの『新しい役割』(ニンゲンのトリセツ・改)

◆素粒子の世界と僕たちとの関係

 この『モトの話』の大前提は

・ココロには『モト』という“材料”がある

という話なんですが、この“材料”とやらが実は「素粒子」(そりゅうし)で、あらゆる物質の材料にもなっている、という内容になってきました。ゆえに、物質である僕たちの肉体、つまり【三つのパーツ】のひとつ「カラダ」も、つきつめていけば『モト』が“材料”だ、ということになってしまうわけです。
 で、です。これが「どう大事なのか?」ということが、読者のみなさんが一番気になっているところだと思うんです。たしかに、これまで誰も考えつかなかったような「新しい発想」の話をしているんですが、問題は「それと私に何の関係があるの?」ということですよね。でも安心してください……大いに関係がありますよ、あなたの「人生」そのものに。

 では改めて、話を進めていきましょう。
 この世界にあるすべての「物質」やココロのような「非物質」がモトという単一の材料でできているのだとするならば……僕たちのいる「この世界」という場所は

  • シームレスなモトの連続体

という構造をしていることになります。あらゆる場所に、継ぎ目なく「モト」がある、という構造です。

 ただ「濃淡」(のうたん)はあるはずです。たとえば物質のある場所のモトは「濃い」はずです。物質として質量を「持てる」ほどの『個数』のモトがそこにある、ということを意味しているわけですから。逆に、物質のない場所(真空の場所や宇宙空間も含みます)にも、『質量を「持てない」程度の個数』のモトがある可能性があります。たとえば、僕たちのココロを構成するモトは、物質になるほどの量が集まっていないため、モト単体でふわふわした煙のような状態になっているのではないかと考えています。こういう場所は、物質がある場所より「モトが薄い」と考えていいはずです。

 いずれにせよ、僕たちが今いる「世界」(これは地球上だけでなく、宇宙全体の話です)が『シームレスなモトの連続体』という“構造”であるとするなら、僕たちは常に

「モトの海にドボンと浸かっている状態」

で暮らしていることになります。ここにも、あそこにも、向こうにも、地球の裏側にも、宇宙の果てさえも……あらゆるところが「モトの海」になっているわけです。
(こういう“構造”の話は第五巻『エキスパート編』で紙面をガッツリさいてご説明します、お楽しみに)

 こういう“構造”が見えてくると、なんと……僕たちの「カラダ」に

今まで知らなかった『新しい役割』

があることが分かってきます。


◆カラダは【境い目】だ

 さて、僕たちが普段『当たり前』にとらえている「この世界」という場所は、改めて考えてみると

  • 自分

  • 自分以外

この二つに分かれているはずです。この話はこうやって言われてみて初めて「そう言えばそうだなぁ」と気づくようなことかもしれませんが、実際問題として僕たちニンゲンは「世界」というものを
「自分か、自分以外の何かか」
という風にとらえるような“構造”をしているはずです。
 これはなぜかというと、僕たちに「カラダ」というものがあるからです。僕たちのカラダは、この広い世界で唯一の「自分自身」であり、自分自身というものはこの「カラダ」以外には物理的に存在しないはずです。
 ということは……そう、これこそがカラダの『新しい役割』なんです。つまり

カラダとは自分と自分以外の【境い目】である

ということが言えます。
 それこそこんなの『当たり前』の話だろ、と思えるかもしれませんが、『モトの話』ではこの

カラダとは自分と自分以外の【境い目】である

ということを「意識して暮らす」ことが、ものすごく重要だと考えています。その理由は、先ほど書いたとおり「この世界」という場所が『シームレスなモトの連続体』、つまり「モトの海」のような場所であるがゆえ、その中であなたが「自分なのか、自分じゃないのか」を自分自身で見分けるための「最初の指標」になるものこそが、僕たちの『カラダ』という存在だからです。


◆カラダは「なぜ」あるのか

 あなた自身にとっては「あなた自身」は、この世になくてはならない特別で大切な存在だと思います。

(もし「そんなことない、私なんていないほうがみんなのためなんだ」といった悲しいことをお考えの方がいらっしゃるとしたら……僕が自信を持って「あなたは今の世界にとってなくてはならない大切な存在なんだよ」とお伝えします。実際に、今あなたがここにいないと「宇宙全体が困る」がゆえに筆者の僕が困るし、あなた自身も困る、という“構造”があるんです……くわしくは上級編・エキスパート編で)

 それで、その「あなた自身」というのは、では

  • どこから、どこまで

だと思いますか? なんて、フツーに考えたら

  • 「カラダ」までが自分

だと思うんです。筆者の僕自身も、基本的にはそう思っています。
 これはつまり、カラダの「内側」にあるものは「自分自身」で、カラダの「外側」は「自分ではない何か」の世界だと考えている、ということを表していますよね。ですからやっぱり、深く考えなくても

カラダとは自分と自分以外の【境い目】である

という『当たり前』の思想になるはずですが……実はここで「モト」が素粒子であって、この世界全体が「モトの海」であることが問題になってきます。
 どういうことかというと……僕たちのココロやカラダというのは「モトでできている」んでしたね。そして世界中のあらゆる場所に「モト」があって、物質・非物質にかかわらずこの世界全体が単一の材料である「モトの海」である、と。
 と、いうことは……ですよ。こういうことが言えます。

本当はこの世に【境い目】なんてない

 さきほど「この世」の“構造”について『シームレスなモトの連続体』と表現しましたが、本当に「継ぎ目がない(シームレスな)」んです。この世という場所は、実はどこまで行っても「モト」しかない場所なんです。そんな中、この世にあなたという存在が「存在していられる」のは、【境い目】として機能してくれる

「カラダ」があるから

なんですね。

 ですが……この“構造”をもっともっとつきつめていくと、なんと僕たちのこれまでの「人生観」がごろっと変化するような『新しい考え』に行き着くのです。次回はその話をしましょう。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)