好きだった男の子の話

小学生の時に好きだった男の子Bくんは、今思うと少し変わった子だった。

眼鏡にスポーツ刈り、クールでクラスで一番成績が良く、
目立つタイプではないが皆からの信頼が厚い。

たまたま同じ習い事をしていて、そこでもやはり目立つタイプではないが、
なんとなく安定感のあるシュールな人間だった。

初めての手作りバレンタインチョコレートもこの子にあげた。
でも「ありがとう」というだけで照れた様子もなくただただ真顔だった。
なんかそういうところが好きだった。

小学3年生の時、周りの男の子はまだまだ龍?とかヒーローとか格好いいものが好きだった時、
何故かB君の持ち物は「ふくろうグッズ」で揃えられていた。

なんか不思議な気持ちになった私は何故ふくろうなのか聞いてみた。

「ふくろう好きなん?」
「いや別に好きちゃう」

Bくんは真っ直ぐ前を見ていた。

「ふくろうと不苦労をかけてるねん。」

小学3年生にしてクールすぎる答え、
そして渋すぎるチョイスである。

年が明けてすぐの給食の時間、みんなはクリスマスの話題で盛り上がっていた。

「みんなサンタさんから何もらったー?」
「○○もらった〜!」
「私は手紙書いた〜!」

するとBくんは給食を食べながら真顔で皆の話を遮った。

「サンタさんなんかおらんで。」

周りは騒然となった。

「おる!だって来たもん!」
「手紙返ってきたもん!」
「お願いしたやつ届いたもん!」

と、Bくんに向かってできる限りの反論をしたが、

「僕のプレゼントにダイエーのシールついてたもん。」

というクールな一言で黙らせた。

一人だけ、
「サンタさんがダイエーでプレゼント買ったかもしれんやん」
と言ったが、その子以外の全員が心の中で「それはないやろ」と思っていたに違いない。
しかも、バカが言うならまだしも、頭が良く皆からの信頼が厚いBくんの発言だったことに皆は衝撃を受けたのだった。

その日の給食はものすごく変な空気感で食べた。

そんなBくんは、小学校を卒業すると居なくなった。
通常なら同じ中学校に行くはずだったが、受験をし私立の中学校に進学したらしい。

それからもうBくんの情報はゼロだった。

20歳になって、成人式でもしかしたら会えるかもと思ったが会えなかった。
まあ、そんな私もそれまで色々あったし、Bくんのことはほぼ忘れていたのだった。

この頃、SNSの最高峰はmixiだった。
ちなみに私はこの頃、SNSでのニックネームを「イーサン」にしていた。
苗字がイケなのでそこからイだけをとりサンをつけただけのシンプルなニックネームだった。

mixiには出身の小学校や中学校を登録できる機能があり、そこから友達を探すことができた。
なんとなく見ていたらBくんらしき人を見つけた。

ニックネームは「BOND」で、アイコンは完全に木工用ボンドだった。
ジェームズ・ボンド的なやつちゃうんかい。

恐る恐るメッセージを送ってみた。
「Bくんやろ?覚えてる??」

返事はすぐに返ってきた。

「もちろん覚えてるよ!!イーサンってあの、ミッションインポッシブルのイーサン?!!」

いや、絶対ちゃうやろ。
でも私のことは覚えてくれていたし、ホッとした。

「バレンタインあげたのとか覚えてる?」
「覚えてるよ!青のリボンついてたやつ、
人生で初めてもらった手作りチョコレートやったからめっちゃ嬉しかった!」

私はちょっとキュンとした。
あの時9歳の男の子が喜びを感じてくれていたことが嬉しかった。
しかもリボンの色まで覚えていてくれた。
私はそこまで覚えていなかった。

メッセージで色々やりとりした。
私が今東京にいること、音楽をやっていること、
Bくんは大学に進学してラグビーをやっていること。

私は懐かしさでいっぱいだった。

ある日Bくんから、東京に用事があるから会わないかと連絡が来た。
待ち合わせ場所に現れたBくんは私の知ってるBくんではなかった。

Bくんといえば眼鏡にスポーツ刈りというイメージだったが、
なんとコンタクトレンズになっており髪は伸ばしてクルクルだった。

いや、これは自然なことである。
自然なことだけど、私はBくんの顔を大体のシルエットだけで覚えていたんだな、と思った。

ちなみに本人曰く、髪はずっとスポーツ刈りだったのを伸ばしてみたら天パだっただけらしい。

しかも何故か片手を骨折していた。
その日はご飯を食べながら思い出話や近況を話し解散した。
記念に写真も1枚撮ったが、外の暗さに駅の光が逆光すぎて個人が特定できないレベルの写真だった。

次に私が大阪に帰った時にもまた会った。
その時はお昼ごはんを食べたらもう私は東京へ戻る日だったので大荷物だった。
荷物は邪魔だったのでコインロッカーに入れた。

待ち合わせ場所に来たBくんはまた片手を骨折していた。
本人曰く治りかけで、医者からは「500mlのペットボトルより重い物は持ったらアカン」と言われているらしい。

Bくんはテーブルの横に置かれている調味料を一つづつ持ち上げては、
「これはいける」
「これはギリやな」

と真顔で挑戦していた。

中身のシュールさは小学校の頃と変わってないな、と思った。

新幹線の時間までまだ少し時間があったのでご飯を食べた後お茶をした。
その時にBくんが撮ってくれた私の写真がめちゃくちゃ盛れていた。
私はこうして沢山話できたことが嬉しかった。

全然関係ないが、当時私は結婚をする予定があり、そのことをBくんに話したら、
笑顔で「おめでとう」と言ってくれた。
Bくんは基本的には真顔だが冷たい人間ではない。
とても優しい人なのだ。
まあでもそのあとすぐに婚約破棄になった。
(この話もまたいつかブログでしようかな)

そろそろ時間だな、と解散しようとしたが、
改札まで送ると言ってくれたのでコインロッカーまでついてきてもらった。

コインロッカーから荷物を出してすぐBくんは言った。

「重いやろ、持ったるわ。」

一瞬、優しいなと思ったが、私は言った。

「え?片手500mlのペットボトルより重い物持たれへんのに?!!」

いいから、と、残された元気な方の片手で私から荷物をひったくった。
今ここで後ろから押したりしてコケたらどうすんねやろ、という気持ちになったがさすがにやめた。

Bくんの優しさと片手の強さが勝った瞬間だった。

ありがとう、と手を振って解散した。
これが私が肉眼で見た彼の最後の姿だった。(と思う、そのあと会ったっけ??)

私もBくんもその後忙しくなり会うことは無くなった。
でもまだSNSでは繫がっているのでお互いなんとなくどうしているかはわかる。
このブログも読まれる可能性はあるが、まあ読まないだろう。

小学校の時の友達で今も繋がってる人は本当に少ないので、
未だに連絡を取ろうと思えばとれる状況にあるのはありがたいなと思う。
Bくんも、他の皆も、いつまでも幸せに暮らせますように(•‿•)

おわり

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