「クラブ」に行きたがる若者考①

新型コロナウイルスによる「飲み」文化が失われて久しいこの頃であっても、人は飲酒への欲を止めることはできないのである。(サンプル数1の発言)

そのような中で若者たちの中で「クラブ」と呼ばれる集まり方に注目してしばらく連載していこうと思う。

今回はクラブに関する基本的な話とその「場」が持つ効果について概説的に述べようと思う。

「クラブ」とは何か

「クラブ」と呼ばれてピンとくる人は比較的遊び慣れた人であると思う。
実際、私自身もクラブに通うようになったのはコロナ禍以降のことであるので、ここ1,2年の話である。
そもそも知っていても何をするところなのかよくわからない人も多いと思うので、ここで私の数少ないクラブの経験からこの特徴について述べていく。

「クラブ」とはざっくりいえば、音楽を聴いて酒を飲むところである。
これだけではバーと何が違うのかということであるが、ここに男女間の交際を目的とした会話であったり、一体感を求めるための「ノリ」(身体的な活動)が行われるのである。(札幌はこれが顕著であって、その曲ごとに振り付けが決まっている。)

ここでかかる音楽は総じてHIPHOPであったり、EDMであったり、J-POPもノリやすいようにアレンジされたものがかかる事が多い。
また飲まれるお酒も多種多様なものがあるが、ショットと呼ばれるようなテキーラやウォッカをベースとしたような比較的強い酒が好まれる。

またクラブ内では照明やスモークによる演出があり、暗い中で会話が交わされるような状況である。

ここまでが「クラブ」の説明であるが、比較的「怖い」といった印象を持つ人が多いのではないだろうか。(実際クラブに行くのは怖がられる。)
しかしこういった「怖さ」がクラブの持つ大きな効果であるように感じる。

クラブに行きたがる若者

夜の世界で遊び慣れていない人にとってはかなり「怖い」印象を持つクラブであるが、もちろん人を選ぶという前提であるが、比較的楽しんで帰る人が多い印象はある。
それはクラブの持つ異様な一体感にあるのではないかと思う。

先にも述べた通り、クラブでは強い酒と大音量の音楽とサイケデリックな照明が常にセットである。
このような空間はかなりの非日常的な高揚感をもたらしているのではないかと考えられる。(日常においてこのような空間を嗜む人はそうそう居ないと思う。)
さらにはみんなで同じノリをするわけであるから、身体的な一体感や高揚感はさらに演出されているわけである。

これが若者たちをクラブに取り込む効果であるように思える。
特にコロナ禍のように鬱屈とした社会の中で数少ない遊び場であり、非日常的な高揚感に浸ることを欲している若者は尚のことであるように思う。

「クラブ」の学術的な見方

ここまで見てきて気がついた人もいるかもしれないが、「クラブ」は民俗学的に見れば酒を飲み、歌を歌い、踊っていることから「祭り」と構造は全く同じなのである。
さらにはそこに男女の交際を目的とした行動が見られることはまさに「乱交」と同じであり、もの自体は違えども、歴史的に見れば全く新しいものではなく、逆に非常に古典的な行動であると言える。

さらには言い過ぎかもしれないが、クラブに対する怖さは非日常的な空間、しかも一定度の「ムラ」が形成されている中に参加することへの心理的な距離感であるということができるかもしれない。

ここまで書き散らしてきたが、私が言いたいのは結局のところ、ここに帰結するのではないかと考える。
クラブに行きたがる若者たちはこの鬱屈とした社会の中で数少ない「ハレ」の空間を見出し、「ムラ」を形成することによってどうにかして楽しみを得ようとしているのではないかと考えている。

おわりに

というようにかなり書き散らしにはなってしまったが、クラブは決して怖いところではなく楽しいところなのである。(論点がズレる)
人間は本質的に社会を形成しようとして、その中での「ハレ」と「ケ」をうまく使い分けることによって、メンタルを保うとしている節は否定できるものではなく、今日のコロナ禍における対策ではそのバランスをうまく取ることが必要なのではないかと思う。

このような視点に立てば、決して理系学問の決定によってこれら対策が決められるのではなく、文系学問によるコロナ対策への視点があることが少なからず有効なのではないかと思ったりすることもある。

結局のところまとまりがなくなってしまったが、今回のところのクラブ考は一旦終えようと思う。

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