多様性を考える from カナダ

今まで、noteでテーマに応募したことは無かったけれど、今日は気分を変えて「多様性を考える」というテーマで短く書きたいと思う。

私は今、多民族国家のカナダに住んでいるので、多様性については日本にいたときよりもかなり身近に感じる。社会学的な詳しい話など私にはできないので、あくまで個人レベルの話をしたい。

多様性が面白いのは、「多様性を認めると、個人が楽に生活できるよ」ということな気がする。(我ながらなんて幼稚な言葉の並びだ…)

性別、社会的地位、身体的・精神的な特徴、年齢、国籍など社会的なカテゴリーを包括的に理解し、マイノリティーからマジョリティーを学ぶ(その逆もある)。するとあるところで気づくのだ。あらゆる社会的カテゴリーにおいて、全てがマジョリティーである状態(またはマイノリティーである状態)だという人間はほぼほぼ存在しないのだと。

あの人と私がここが違う。ここが似ている。ここは同じである。といったように、自分という存在がグラデーションを帯びてくる。

日本にいると、日本人に見える人間はほぼほぼ日本語を話しているし、社会的な共通認識(礼儀や一般常識と言われるもの)がとても強いので、人間一人ひとりの色合いの違いが見えにくい。

カナダにいると、今住んでいる街が割と都会なこともあって、常にいろいろな文化、人種、言葉、性別と出会う。そして、自分がマイノリティーに感じる時すらあるが、それを後ろめたく思ったこともない。他の人に関して、何かカテゴリーにはめて否定したい気持ちにもならない。たぶん絶対的に違うということがわかっているから、「では、何がどう違うのだろうか」という興味がわく程度だ。

この感覚が、今の自分にとってはすごく生きやすい。

他人が自分と違う。それでいいんです。むしろ違う部分を大事にしていきましょう。そうしてたらいいことがあります、お互いにね。

とでも言われているような気持ちで生きることが出来る。

日本に帰国したらどうなるのかなぁ。私が今この国で体験していることを忘れたくないな。他人は変えられないから、まずは島国育ちな自分のマインドから、ゆっくり変えていこう。多様性を通して、私の人生を明るく元気に生きていきたいものです。

#多様性を考える

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