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幸せはムーミンの形をしている

なんのキャラクターが好き?と聞かれたので、"ムーミン"と答えた。

子どもと関わる仕事をしていたときのことだ。

子どもたちは当時の戦隊ヒーローとかジバニャン、すみっこぐらしのキャラクターとかの話をしていたと思う。
その中で少し古いムーミンはあまり知られていなかったようで、なにそれ?という顔をされた。

ムーミンは妖精なんだよ、とざっくりした説明をしたけれど、ちょっと困ったような返事がかえってきたから、すぐにすみっこぐらしの話に戻した。

それが、思いのほか子どもたちに響いていたとわかったのは、すこし時間をおいてからだった。

「図書館にあったから、借りてきたよ!」

「テレビにムーミンが出てるよ!」

方法はいろいろだけど、子どもたちがムーミンをみつけるたびに私に報告をしてくるようになったのだ。

一緒に電車に乗れば車内広告のムーミンを見つけて教えてくれて、文房具屋さんでみつけたシールを持ってきてくれることもあった。

誰かが、
「かばみたいな顔じゃん」
というと、
「ちがうよ!妖精なんだよ!」
と私のかわりに憤ってくれる子もいた。

純粋に、すごいなぁとおもう。
子どもたちは、ムーミンをみるたびに私のことを思い出している。
ムーミンをみたら私が喜ぶと思って、私の姿を探している。
私の好きなものをみつけては、喜んでいる。

とてもまっすぐで優しい愛を、私は子どもたちから注がれていた。

幸せなことを思い出そうとすると、いつもこのエピソードにたどり着く。

スペシャルな食事も、
最高のリゾートも、
奮発して買ったドレスも、
自分で自分を幸せにするための特別はいつだって魅力的で、大量のアドレナリンを分泌してくれる。
だけど、数年後も思い出すほど幸せかと言われるとそこまでにはいたらない。効果が切れる前に新しい特別を追加する。麻薬のようで、時々怖くなる。私が心の底から求める幸せではなかったのだと思う。

じゃあ、子どもたちとムーミンのエピソードは、どうしてそこまで私を幸せにしてくれるのだろう。

子どもたちは、私を幸せにしようなんてきっと考えていなかった。
もしかしたら、愛されたいから頑張ってムーミンを探していたのかもしれない。
下心がなかったとはいいきれない。
むしろ、無理をさせていた可能性だってある。
子どもたちの柔らかい脳みそに、ムーミン=私の方程式を刻んでしまったのかも。

でも、それってきっと悪いことじゃない。
メンバーカラーの服をみつけては推しのアイドルを思い出すみたいに、子どもたちはムーミンをみると私を思い出す。
誰かの好きなものを、好きになる。
誰かの喜ぶ顔を想像して行動ができる。
好きが連鎖していくのは、絶対に、悪いことなんかじゃない。

子どもたちの心の隅っこにでも自分がいるとわかったから、言葉でも態度でもなく行動で愛を示してくれたから、このエピソードはいつでも私を幸せにしてくれる。

子どもと関わる職から離れて数年たつ今、あの子たちがムーミンをみつけて私を思い出すことはもうないかもしれない。

でも、私はムーミンを見るたびに子どもたちのくれた愛を思い出すことができる。
子どもたちの愛はムーミンの姿になって、いまも私を幸せにしてくれる。

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