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私を苦しめる「働くこと」への少し歪んだ価値観

私は幼い頃、いわゆる典型的なガリ勉だった。一日分の勉強が終わらなければ遊んではいけないというルールがあったので、小学校一年生の頃から勉強していた。「今のうちから勉強しておけば将来楽ができる」「今時いい大学に入らないと就職できない」そんな周りの大人たちの言葉を素直に受け取り、わたしは努力の前借りをしているような感覚で、日々勉強をしていた。

やがてハードなスケジュールを組む塾に入れられ、部活との両立できなくなり、限界を迎えて勉強が手につかなくなるまで追い詰められてしまい(両親はそれに気が付かなかったようだが、あまりに休む時間がなく辛くて塾に行けずベッドにいる娘に対して、悪気なく、塾代をドブに捨てているようなものだから塾に行きなさい、などと言う少ししずれた親だった、愛されていないわけではないのだが・・・)、努力の前借りは悪い意味での前借りとなってしまった。

さて、中学生まで成績が良く、塾の模試で上位に入ることもあった私は、当然将来しっかりと稼げる仕事に就けると思い込んでいた。そりゃそうだ、周りの子が遊んでいる時間を、私は我慢してたくさん勉強する時間に使ったのだから。

だから小6にして「結婚するなら27歳が理想だなあ、就職してしばらくお金を自由に使える独身時代を満喫したいの」なんてことを言う女の子だった。「将来の夢はお嫁さん!」なんて可愛らしいことは、記憶の限りでは一度も思ったことがない。

お金というものは私にとって窮屈だった。親が変に厳しかったからだ。「自分は子供の頃こんなもの買ってもらったことがない」などと、娘である私と自分を比較して羨ましいという感情を娘に悪気なく伝えてしまうような親だった。親の稼いだお金を私に使わせてしまうことに罪悪感があった。だから、早く自分の好きなものを罪悪感を抱かずにのびのびと自由に買えるようになりたかった。

さて、私は今、20代後半。しかし私はうつ病で数年間働けていない。自由にお金を使える独身時代を謳歌できていない。努力は実るどころか私を苦しめることになってしまった。おそらくもうバリバリ働くことは難しい。

うつ病と微熱はいつ治るのかわからない。微熱に至っては治療法も曖昧である。つまり私は誰かに金銭的に頼らないと生きていけない人間になってしまったのだ。

しかしそれがどうしてもずっと受け入れられない。「あんなに我慢して勉強したのに」という思いが、消えない。
いったい幼い頃した努力の前借りの分の得は、いつ手に入るのだろう。

頭ではだんだんと分かってきている。私は掃除がとても得意で、洗濯も嫌いではなくて、料理もある程度作ることができる。外にいると人よりもエネルギーを使ってしまうタイプ。季節の移ろいなどの些細な事を楽しめるタイプ。つまり、自分の特性は主婦に向いているのだ。

それでも、心はまだバリバリと働くことに憧れているし、努力が実らなかったと小さな私が心の中で泣いている。

幼い頃に植え付けられた間違った価値観を取り除くことは難しいのだなあと常々思う。だからこそ、こうして自覚して、客観的に分析することが大切だと考えている。それが自分を生きやすくする一歩に繋がると信じて。

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