日記:傷ついてしまう言葉

先日美容院へ行った。美容師さんとの会話でグサグサと刺さった言葉があったので、文章にすることによって整理しつつ少しでも消化したい。念のため先に言っておくが、その美容師さんが悪いことを言ったわけではないし、その美容師さんを責めたいわけでもない。これは、ただただ、私が生きづらさを吐露する日記である。

①「同窓会」

同窓会は私の中で禁句である。なぜなら高校生の頃不登校になったため、同窓会というものにはほとんど縁がないから。加えて私には訪問したいと思える母校がない。全体的に学校というものにあまり良い思い出がない。私には日本の学校という制度が合わなかったのだろう。あるいは公立の小学校・中学校へ通ったことがよくなかったのかもしれない。公立の小中学校でヒエラルキーのトップにいるのは運動ができる生徒だから。成績の良さは先生にしか評価されないのだ。しかも成績が良いと先生たちからはやたらと〇〇委員というものを頼まれる。私は真面目で部活で副部長も務めていたし、先生たちにとっても都合の良い人間だっただろう。

②「今年は卒業式ができなくてかわいそう」

たしかに卒業式ができないことは気の毒だ。しかし、そもそも卒業式ができなくて残念、と思えること自体幸せなことである。私にとって高校の卒業式など単なる義務だった。
卒業式ができないことに同情するのならば、まず先に不登校の生徒に寄り添うことはできないだろうか。苦しんでいて助けを求めている生徒に優しい言葉をかけられないものだろうか。もしもそれができないのならば、それは偽善ではないだろうか。
これは極論かもしれない。しかし、マイノリティに優しい言葉をかける人なんてたくさんいるし、だからこそマイノリティの属する人たちは悲しみを癒し前に進めるのだ。マジョリティに優しい言葉をかける人は少ない、そもそもマジョリティの苦しみなど、マイノリティの視界に入ってすらない。こういう出来事に遭遇すると、些細な事でも、憤りを感じてしまう。
もちろん、憤りを人にぶつけることはしない。ぶつけたところで何も解決しないし、それは私のポリシーに反する。ニコニコと愛想笑いで流しながら、心の中で過去の記憶と感情がふつふつと煮立ってくるのを感じるだけだ。

最後に、私は美容師さんとの会話の中で、仕事をしていると嘘をついてしまった。「普通に仕事してるんですよね?」という問いに、とっさに「はい」という言葉しか出てこなかった。病気療養中だと伝えて、相手の態度が変わる可能性があることが怖かったからだろう。自分の心を守るために、嘘をついた。
嘘を吐くたびに、黒い感情が私を蝕んでいく。私は嘘を吐かないと傷つけられる可能性のある人間、つまり、本当の私は存在してはいけない人間なのだと、飛躍しすぎた考えが生まれる。しかしこの感覚を分かってくれる人もいるのではないだろうか。何も悪いことはしていない、むしろ病気で苦しんでいるのに、世間の冷たい目がさらに病人を苦しめるということを、多くの人は分かっているようでわかっていない。

こんなふうに思うことはよくないというのはよくわかっている。けれど心が叫ぶのだ。

存在してごめんなさい。
自立できないのに生きていてごめんなさい。
生きるだけでお金がかかってごめんなさい。
何年も治らなくてごめんなさい。
誰も役にも立てないのに迷惑をかける存在でごめんなさい。

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