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  • 【小説】 トランジット

    短編小説 トランジット

  • ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話

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【短編小説】桜の見える部屋で

実家の2階にある私の部屋には大きな窓があって、その窓からは、隣の公園の外縁に植わっている桜の木が見えた。 子どものころ、私は毎年桜が咲く季節になると自分の部屋に小さなレジャーシートとお弁当を広げて、一人でお花見をした。その窓枠が切り取る外の世界のほとんどを、桜の花びらが埋め尽くしていて、その隙間からは、吸い込まれそうな春の空が見えた。公園の方からは家族や友人とお花見に来た人たちの楽しげな声が響いていたけれど、私は騒がしいのがあまり好きではなかったし、レジャーシートや身体にのぼ

    • 【小説】トランジット 第4話

      桃園空港から台北駅へと向かう列車は、空港の地下にある駅を出発してしばらくすると地上に出た。外は霧雨が降っていて、車窓から見える桃園の街はその白くにじんだ世界の中に浮かんでいた。新しいビルと古いビルが不規則に建ち並ぶ街並み、建設中の高速道路やショッピングモール、視界を通り過ぎてゆくそれらは特別珍しいものではないけれど、日本の景色とは少しずつ違っているように見えて、やはり異国に来たのだな、などとぼんやりと考える。 僕はあの夜、大津と別れた後すぐに、ハルにメッセージを送った。ただ

      • 【小説】 トランジット 第3話

        今日は金曜日だし早めに仕事を切り上げよう。そう思って時計に目をやると、既に20時を回っていた。今週は面倒な案件の対応で疲れ切っていて、一刻も早くこの真っ白で息苦しいオフィスから出たかった。 「高木さん、この資金計画なんだけど」 佐竹課長の声にどきりとする。何か不備を見つけたときの声のトーンだ。 「この取引先、決算書を見ると信金からも借入あるみたいだけど、計画にその数字含まれてる?」 「あ、すみません、見落としてました。先方に確認して修正します」 「いやいや、修正というかね

        • 【小説】 トランジット 第2話

          ハルはめずらしく待ち合わせに遅刻してきた。 3月になったといっても外はまだ少し肌寒くて、僕は近くのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら駅の中でハルが来るのを待った。 今日はハルが台湾に行く前に3人で会おうということになっていたのだが、言い出しっぺの大津から前日に「やっぱ無理になった」というメッセージとともに30個くらいの土下座の絵文字が送られてきて、仕方なく二人で会うことにしたのだった。 原宿駅の改札は休日の昼間にしては空いていて、エスカレーターで昇ってくる小さな影を、すぐ

        【短編小説】桜の見える部屋で

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        • 【小説】 トランジット
          4本
        • ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話
          7本

        記事

          【小説】 トランジット 第1話

          「皆さんのためを思って言っているんですよ」 ああ、言うと思った。 あまりにも予想通りの言葉に、むず痒さと可笑しさがこみあげ、口の端が不自然に歪む。今、自分がしているであろう意地悪な顔が想像できてしまって、あわてて口角を下げる。 こういう時は、いかにも反省しています、という顔をしなくてはならない。 いつまでも学生気分では、云々。社会人としての自覚が、云々。この金子というベテラン社員が話し始めてからずいぶん経つけれど、彼女の口から出る言葉はどれも、どこかで聞いたことのあるよう

          【小説】 トランジット 第1話

          踏み切り

          (踏み切りの音) ずいぶんと大げさに鳴っているけれど、線路の先に見える電車はまだ遠く、小さい。 いけるかな、でもやめといたほうがいいかな、なんて考えている私の横を、自転車に乗った高校生が勢い良く走り去っていく。 ああ、もう遅いか。 黄色と黒のレバーがゆっくりと下がる。 目の前を過ぎ去る電車を眺めながら、私はぼんやりと昨夜のことを思い出していた。 「あのね、私カナダに行くの」 久々に会う陽菜の口から聞く報告に、私は思いっきり動揺した。 「え?カナダ…のどこ?」 動揺を悟ら

          踏み切り

          人の「市場価値」

          個人がスキルアップしたり、仕事で経験を積んだりすることについて「市場価値を高める」という言い方をすることがある。転職サイトの広告とかビジネス書でよく見かける表現だ。 ここで言う市場価値というのは、要は年収のことだろう。 雇用されることを、労働市場で「買われる」ことだと考えると、わかりやすい表現ではあると思う。 ただ、「もっとスキルアップして自分の市場価値を高めていきたいと思います!」みたいなことを曇りなき眼で言っている人を見ると「一旦落ち着こうや」と言いたくなる。年収を高

          人の「市場価値」

          一緒でも、ひとりでいられるということ

          「ぼく、ムーミンたちのことだって、煩わしく思うこともある。だけど、彼らとくらしていると、一緒でも、ひとりでいられるんだ。」 ムーミンシリーズに出てくる旅人、スナフキンの言葉だ。 ムーミンシリーズの中で、僕が特別好きな一節でもある。 一緒にいるとひとりでいられない相手 一緒にいてもひとりでいられる相手 というのが、たしかにいると思う。 一緒にいると自分ひとりになれない相手というのは、ずっと相手の存在を気にしていなくてはいけない人。 一緒にいる時間を相手のためだけに

          一緒でも、ひとりでいられるということ

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑦(完)

          キャンプサイトを少し下って平地に出ると、遠くに黒っぽい塊が見えた。 少し近づいてみると、大きなうんこのようだった。かなり大きかったので僕は「ゾウのうんこだ!」と確信した。 うれしくて走って近づく(うれしくて、うんこに駆け寄ったのは後にも先にもこの時だけだ)。 立派なうんこだった。そのうんこは堂々としていて、ただそこにあった。 僕はうんこの前に立って一言 「しんどいっすわ…。」 とつぶやいた。 特別深い感慨のようなものがあったわけではない。でも、本当にサバンナのゾ

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑦(完)

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑥

          焚火が終わり、自分のテントに戻って眠りにつこうとすると、外から動物の鳴き声が聞こえた。 「アウッ…アウォ~~~~~ンッ」「アウッ…アウッ…アウォ~~~~ンッ」 どう考えてもハイエナだった。 しかもあきらかに一頭じゃない。 本当に来た。たくさん。 「テントを破って侵入してくることはないから、こちらから開けなければ大丈夫らしいよ。」 同じテントで寝ていたグレゴが励ましてくれた。 「トイレに行っといてよかった」と心から思った。 そしてその夜は、ハイエナの遠吠えを聞きな

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑥

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑤

          長い移動を終えて2日目の宿泊地についた僕は、信じがたい光景を見た。 2日目の宿泊地は、完全にただの野原だった。 柵もなく、本当にサバンナのど真ん中でテントだけ張ってキャンプをするって感じだ。 ぱっと見、いつハイエナが来てもおかしくない。 まあでも、あまり動物が来ないエリアを選んでいるのかもしれないし、と思い 「ここにはハイエナとか来るの?」 とキャンプサイトの管理人らしき人に聞いてみた。 「そりゃハイエナは来るよ!たくさん。トイレ行くときは気をつけろよ~。あっで

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話⑤

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話④

          僕は、はにかみながら、軽く挨拶をして席に座った。 どうやって会話に入ろうかともじもじしていたら、僕より一回り年上の男性が話しかけてきた。 彼はドイツ人なのだけど、なぜか「ジャッキー・チェン」と名乗っていて、皆からもそう呼ばれていた。 「どこからきた?日本?これ日本のカメラ!いいでしょ~!そういえば日本料理食べたことあるよ!あれは中華料理と同じだね!っていうかアジアの料理は全部同じ!チキンと野菜を塩コショウで炒めてライスにのっけるだけ!そうだろ?ハッハッハ!ウケる!」

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話④

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話③

          今日はタンザニアに到着したばかりだし、明日にでも町に出てサファリの会社を巡ろうと思っていたので、少し面食らってしまった。 話を聞くと、どうやら今日出発のツアーに空きが出たから、安い料金で参加できるということらしい。 ゴドウィンさんに言われたツアー会社に行って料金を聞くと、確かに割安ではあった。それに、着いたその日にいきなりサバンナに繰り出すというのも、それはそれでいいかも、と思った。 その場で料金を払って注意事項を聞いていると、「ハイエナ」というワードが聞こえた。「キャ

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話③

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話②

          「これ君?」と彼がスマホの画面を指さす。僕のfacebookの写真だった。 彼が迎えに来てくれたホストの知り合いだったのだ。アジア人が僕しかいなかったので、わかったらしい。 アフリカの人って超陽気な人ばっかりというイメージだったけど、迎えに来てくれた彼はすこし違っていた。落ち着いたトーンで話す、少し繊細そうな人だった。 景色がきれいなところで何度か車を止めて、「写真撮る?」と聞いてくれたり、たくさん気遣いもしてくれた(今思えば「アフリカの人」ってありえないくらい雑なくく

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話②

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話①

          「サバンナのゾウのうんこに、だるい、せつないって言って来たら?」 好きな短歌の話をしていたら、友達からこんなことを言われた。 この一言で、僕はタンザニアに旅立つことを決めた。旅立つ、と言っても10日程度のごく短期の旅行だ。それでも海外で一人旅をしたことがない自分にとっては一大決心だった。 当時の僕は、なんとなく入った会社で、3年目として無気力に仕事をしていた。まあ割と不自由はない生活だったのだけど、そういう熱量が低くて省エネ志向の自分が嫌でモヤモヤしていた。もっと大

          ゾウのうんこに会いたくてタンザニアに行った話①