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統合失調症療養期 脱走編

私の人生で一番大変だった時は統合失調症の急性期だと思う。しかし、人生のどん底はその後に訪れる入院生活であろう。

簡単に書くと、私は統合失調症で3回入院している。その2回目の入院で死の決意を持って病院を脱走した。その時の話である。

あらすじ

人類の滅亡を妄想して発狂してしまい、救急車で病院に運ばれた私。救急隊員や担当医を宇宙人だと思い込む。治療も怪しげな宇宙人方式だと認識する。病室で点滴を打たれて海で溺れるが如く苦しくなり助けを求める。その後、両親が名古屋から迎えに来て福井を後に出立する。

本編

久しぶりに実家で寝て起きると腕が変な方向を向いていて血が通ってなくて焦った。
兄が心理士をしていたので病院を探してくれた。後日聞いた話だと土日で病院の選択肢があまり無かったそうだ。両親と兄に連れられるまま病院へとやってきた。はじめの印象は病院であるにも関わらず、私は相変わらず、除霊してもらえると思っていた。何を話したか覚えていないが即入院が決まった。閉鎖病棟だった。

入院手続きを両親がしている時に私の首が後ろを向いた。自分の意志では元に戻せない。誰かの手で引っ張られているかのように後ろを向いていた。相変わらず悪霊と戦っていた。
病室に着いた時、薬を看護師さんから手渡された。それを苦労しながら飲むと首があっという間に楽になった。
一回目の入院はあっという間に終わった。すぐに開放病棟に移ったし、散歩で図書館に行っていた。どこかに紙切れが置いてあり、『統合失調症?』と書かれてあり、その時、私は統合失調症なのかな?と思った。図書館で統合失調症の本を読み、あぁ確かに私は統合失調症かもしれないなと思った。図書館で本を読む事でようやく、現実と繋がっていった。信じていた妄想がようやく妄想と認識できていった。科学が好きだったので科学によってスピリチュアルな考えは抜けていった(今でも占いなどのスピリチュアルは好きである。科学や学問よりは信じていないが)。

そうこうして、退院したのだが、社会と繋がれなかった。まずデイケアに一日通ってもう無理となった。大学の先生に研究室の手伝いも打診されたが、それも結局できなかった。他にも居場所的なところも家族に勧められて行ってみたが肌に合わない。
段々と引きこもるようになった。何より担当医と信頼関係を築く事が出来なかった。診察の時間、何も喋らなかった時に「じゃあ、入院だ」みたいな軽い感じで2回目の入院が決まった。私はすごく嫌だった。
そして、案の定、人生で一番つらい経験となる。詳しくは書かないが、馴染めず、居心地の悪い場所で逃げ場の無い暮らしが始まる。閉鎖病棟から始まったが、それでも開放病棟に移してもらえたのは唯一の救いだったかもしれない。
私の脱走は計画的だった。七夕のイベントで看護師の注意が逸れる時を狙ったのだ。やられた側はとんでもなく迷惑だったかもしれなかったが、私は必死だった。
兄に買ってもらったスラックスを履いて病院を飛び出した。死に場所を求めて。南へ南へと歩いていった。本当は高い所から飛び降りようと思っていたのだが、近年の防犯意識の高まりからか、マンション自体に入れない。
何時間か歩いている内に港の方へたどり着いた。海に飛び込んだら?とも考えたが、へたれが出てやめておいた。歩いていると見覚えのあるバス停が目に付いた。実家側のマンションだったら?と考え、実家方面へ向かうことにする。いざ、そのマンションに行ったとき、思ったよりも高くなかった。子供の頃の記憶ではすごく高かったのに。すごすごと実家に向かって歩いていると家族と出くわした。どうやら警察沙汰になっていて捜索願いを取り消すとかなんとか言っていた。自宅でも死に場所と思っていた。洗面所の天井に留め具があるので、そこにベルトを巻けば首を絞めれると思っていた。家族は病院に行っていた。帰ってきたら病院に連れ戻されると思っていた。残された時間はあまり無いと焦っていた。手間取りながら、思ったように輪っかを作りいざ飛び降りるとなった時すごく怖かった。何回もの躊躇いの後、飛び降りた。足がついた。苦しいのだが、足がつくので死ねなかった。ベルトが伸びたのだ。計算の上では足はつかないはずだったがベルトが伸びるのは計算外だった。何回やっても足がつく。そのうち諦めて、ベットでふて寝をしていた。そうしたら家族が帰ってきた。もうおしまいだ。正直、ミッションは達成してないがやりきった感はあったので後はどうとでもなれと思っていた。ところが、両親から言われた言葉は意外な物だった

「自宅で療養しよう」

この言葉に救われた。私は人に恵まれていると思っているが、産まれてきた両親にも恵まれている。

こうして、自宅療養が始まった。

※現在、私の統合失調症の症状は目立ったものはほとんど無い。それは病院での早期の適切な薬物療法によるものと考えており、その点では病院に感謝しております。
※思い出補正により、意図せず事実を脚色しているかもしれません。ご容赦ください。

⇩次の話はこちら。

⇩始めから読みたい方はこちらを是非。

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