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統合失調症療養期 廃人編

私にとっては穏やかな暮らしだったのだが、家族にとってはとても苦しく我慢の必要な時期だったと思う。今話すと私を写真に取って記念に残しておけばよかったと茶化すようになっているが。家族にとっても試練の時で私達はそれを共に乗り越えた。そんな話です。

前回までのあらすじ

統合失調症と診断された私。薬で症状はほとんどなくなり、悪霊に付かれているという考えは無くなる。図書館で本を読むことで現実と繋がるも、退院後は社会と繋がることはなく2回目の入院をすることに。その入院生活が辛く死を覚悟して脱走する。しかし、歩き疲れて実家に戻ると、家族から自宅療養をしても良いと言われる。

本編

一年ぐらい完全に引きこもり廃人の様な暮らしをしていた。家族としては先の見えない不安があっただろう。
家からは全く外に出なかった。後に兄から仙人のようだったよ。と言われるぐらい髪も髭も伸びていた。
一言も発せず、風呂にも入らず、齒も磨かず、寝て起きてご飯を食べてゲームをして暮らすというものだ。
今ほどでは無いが当時もソシャゲは存在していてそれを(タイトル忘れた)やっていた。ソシャゲ内でも私は無言だった。発言しないといけない時は緊張した。
私の中は怒りに満ちていた。念をまだ信じていたので怒りの念を福井の関係者や病院、カウンセラー(福井の時に社会適応のために受けていた)に送っていた。
薬は一切飲んでいなかった。

転機はガンダムオンラインというゲームがリリースされた時だ。私はそれにハマった。しかし、パソコンのスペックが足りなくて思うように出来なかった。始めはグラフィックボードを変えた(覚えてないがどうやって購入したんだろうか?)がグラフィックボードはすぐに壊れた。そこで父に新しいパソコンをねだった。

父親とパソコンの組み合わせは、幼少期に私の人格形成に影響を与えている。私は小学校の3年生ぐらいからパソコンが欲しかった。父は毎回買ってやると言っていたが、毎年誕生日になると買う時期じゃないと言って買ってくれなかった。結局、パソコンを買ってくれたのは高校に入ってからだった。私は約束を守れない人を許せなくなった。

そんな父だが、今回はすぐに買ってくれた。私は嬉しかった。ガンダムオンラインが更に楽しくなった。
両親は病気の勉強を熱心にしていた。母親は家族会に参加したり、父親は渡部先生の勉強会に入っていた。
父親から渡部先生に会ってくれないか?と頼まれた。私は義理と恩を大事にする方なので、パソコンを買ってくれた恩を思い義理を果たすために親父の頼みを受け入れ会うことにした。この時、きっかけは忘れたが久しぶりに喋ったからかハイになり頭がおかしくなり、発狂しかけた。残っていた薬を飲んで事なきを得た。
渡部先生に会う前に髪は自分で切った。だから、最初に会った時に「なんだ髪短いじゃん」と言われたのは覚えている。掴みどころの無い先生だった。私は通院することになった。薬は飲むことになった。
しばらく、通院していて、誕生日が近い日の診察の日に先生に「もうすぐ私の誕生日なんです。」と言った。そうしたら、先生から「教育入院をしなさい。それが私の誕生日プレゼントだ」と言われた。混乱したが私は誕生日プレゼントは受け取らねばと思い、教育入院することになる。

後に聞いた話では渡部先生はLowEEという考えを提唱しており、家族は感情表出を下げて心穏やかに寄り添うのが、大事だと言われていた。私の家族はそれを実践していた。(私が病気になる前は感情のぶつかり合いは日常だったのだが)だから、私は段々と心穏やかに暮らすようになった。本当に恵まれていたと思う。

次回はトラウマになってしまった入院生活を無事にやり遂げる話です。

※思い出補正により、意図せず事実を脚色しているかもしれません。ご容赦ください。

⇩次の話はこちら。

⇩始めから読みたい方は是非。

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