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統合失調症療養期 決意編

トラウマだった入院を無事にやり遂げたが、デイケアのために病院を変わる事に。しかし、その病院でのデイケアも一日で通うのをやめ、また引きこもり生活が始まる。

しかし、医師が寄り添ってくれた。特に何かありがたい言葉とかあった訳ではないがデイケアに一日しか通えなかろうが、また引きこもろうが、変わらず寄り添い人間として接してくれた。今までの医師とは違うと感じていた。今思うと病気後初めて、社会の中で安心・安全を診察の中で感じていたように思う。

そんなある日、兄貴が突然「カラオケ一緒に行こうよ」と言ってきた。髪もボーボー、髭もボーボーの私に。そこで何故か私は一緒に行くことにした。

私はカラオケが好きだった。歌うのが好きで音楽が好きだった。しかし、急性期の時期に苦手意識を覚える出来事があり、それ以来、歌うのを躊躇っていた(入院時のイベントでカラオケなどがあった)。

店につくと空いてはいたが、店員からの目線が気になる。病院以外では久しぶりの外出だ。私の外見も仙人だ。いそいそと、部屋に入り、兄貴が歌い出す。そして、私に歌うように促してくる。私は私の十八番のTUBEの「あー夏休み」を歌った。思ったより声が出た。その事が一番の驚きだった。そして何より楽しかった。私は歌う事を楽しめるんだ楽しんで良いんだと思った。

それから、家族でもカラオケに行くようになった。その頃には私は自信を取り戻しつつあった。

そして突然ある日、私は髪を切った。社会復帰してやるという決意を持って。その日は8月11日だった。それから毎年8月11日は私にとって特別な記念日になっている。

先生に社会復帰したいんです、と伝えた。先生は実績が必要だと言った。どこでもいいから、3ヶ月間、通うのを提案された。そしてその後のステップとして、就労移行支援事業所があることも教えてくれた。

私はデイケアには通う自信は無かったが就労移行支援事業所なら通えると思った。

そこで、図書館でもいいですか?と聞いてみた。先生は快く了承してくださった。

それから毎日愛知県図書館に通った。休みの日は何をしていたか覚えていないが、とにかく開いてる日は毎日図書館で一日を過ごした。

保健所にも電話をしてみた。そうしたら、毎週報告を入れるように言われた。それも継続できた要因の一つだろう。

さらに訪問看護のサービスも受けることになった。看護師さんがドラえもんが好きと知るとドラえもん学の本を借りてきて見せたりした。そんな他愛の無いやり取りに看護師さんは付き合ってくれた。

途中、練習のために病院のSSTに参加した。楽しかった。私が社会で失敗したと思った言動を見つめ直すきっかけになった。

そうして無事に3ヶ月間の図書館通いは終わった。

結構きつかったけど、保健所の人が大の本好きでお勧めの本などを教えてくれて助かった。私は文学などはほとんど知らなかったので。
始めの頃は薬学部を目指して生化学の本などを読んで勉強していたが、私にはもう無理だと気付き、途中で辞めた。

この時期に携帯電話を買い替えているが古い携帯電話はバッテリーが無くなっていてデータを引き継がずに買い換える事になった。私から過去の人脈が消えた。しかし、偶然という名のご縁からか中学の友人とはまた繋がることになる。

次回は、就労移行支援事業所の話です。

※思い出補正により、意図せず事実を脚色しているかもしれません。ご容赦ください。

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