見出し画像

統合失調症療養期 社会復帰編

県図書に3ヶ月間通い詰めることを達成した私。先生は約束通り就労移行支援事業所(以下、事業所)へ進むことを許可してくれた。

どこの事業所にしようか考えている時に書類を書くのを手伝ってくれていた社労士の方から「パソコン得意だったらここもどう?」と紹介を受けた。結局そこに行くことにした。

その事業所は社長がすごくて(もちろん社員の方もすごい)、見学に行った始めましての段階から社長と面談があった。そこで私は「研究者になりたいんです」と言った。すると社長は「無理だ。辞めといた方が良い。」と言った。しっかりと私の目を見据えながら。
その見学が終わった時に付き添いの人に「生意気だよ」的なこと言われたが、私にとってはそこにお世話になる決め手になった。ここなら誠実に人と向き合ってくれると直感した。

事業所での暮らしは楽しくて今までの人生で一番平和な時期だったと思う。イベントも含めほぼ皆勤賞で出席した。彼女もできた。30歳を過ぎて産まれて初めての彼女だ。その子とは事業所が終わる度にカフェで待ち合わせをして他愛の無いおしゃべりを楽しんだ。彼女とは結婚の約束もしたが、就職してしばらくしてから破談になった。

事業所の訓練は就職してからすごく役に立った。ExcelやWordの基本的な使い方を習得できたのと、タイピング速度の訓練は有効だった。

しかしまぁ、この頃の私の考え方は「やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやる」だったので人間関係のトラブルは随所であった。会社に入る前の訓練だったのだろう。今でも若干まろやかになっている程度で残っているので苦労している。

就活は思ったようには行かなかった。もちろん、オープン(雇用先に障害者であることを伝える)で障害者枠(障害者雇用促進法により一定数以上の従業員を抱えている企業は障害者を雇用すると税金の面で特をする)である事を医師から念を押されていた。受けるところは全て落ち、IT企業はもう諦めて事務職に応募しよう、と思っていた支援員との面談の日、何気無く求人票をめくってみたら、何と1ページ目にIT企業があった。しかも、プログラマーの求人だった。ダメ元で応募したらすんなり決まってしまった。そこが今勤めている会社である。正直私はIT企業ならどこでも良かった。現場で使えるスキルを身につけれるのであればよかったのである。この時は、会社で下積みを積んでいつか起業してやると思っていた。

かくして、無事に社会復帰に成功(障害者枠のパート)した。

会社に入ってからも両親をハラハラさせるような言動を取り続けているがもう5年も働いている。着実に成長は続けている。そう考えると、随分と未熟だったなぁと思い返される。

おわりに

統合失調症の思い出話はこれにておしまいです。読んでくださった方やスキを付けてくれた方々のおかげで書き切ることができました。ありがとうございます。
母親に見せてたのですが、脱走編などで泣かせてしまいました。父親は過去の事は振り返りたくないようで見てもくれませんでした。(※その後、父親も読んでくれました。)やはり、両親共に辛い思いをさせたんだろうなとしみじみと痛感しました。
この私が体験した記録を残すことで少しでも同じような境遇の人の助けになれば幸いです。
ただし、私は認知機能に障害が無く、妄想も幻聴もありません。症状と言えばストレスに弱く疲れやすいぐらいです。(まぁ後は気性が荒いですが病気とは関係無いです。)それも、薬と休息でコントロール出来ています。
同じ統合失調症という名前でも、もっと病気に苦しんでいる方々を知っていますので、家族の方や支援者の方、特に本人は無理せず、当人のペースで病気と付き合って欲しいと心より願っています。

統合失調症という病気が世間で偏見の目で見られない一般的な理解のある病気になって欲しいと切に願っています。

※思い出補正により、事実を脚色しているかもしれません。ご容赦ください。

⇩始めから読みたい方は、こちら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?