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私は詩人ではない

 また皆んなが輪になっている。そして詩人をやっている。詩人同士という仲間関係。私はそれをどうしても生理的に受付ない。ところでもうTwitter(現X)で情報を発信することを私はやめた。以前から気になっていたのだけど、あの場所はバーチャルを提供してくれていてSNSな人々はバーチャルな自己を味わって心地よくなって噂話にしけこむ。会社における給湯室みたいにね。なになにさん、あなたのその気持ちわっかるー的なこと。人と人は簡単に軽薄に分かり合える。生存本能として人間はそういう他人の噂(情報)を求めてしまう生き物なんですよね。あの人は私と気が合いそう。あの人は私が不快に思うことばかりいう。あの人と一緒にいれば私は生きていけそう。あの人と繋がっていれば良い詩が書けそう。詩人、詩人、詩人。詩人ってひとりぼっちだとずっと確信していたんだけれど。いや、話の本筋に戻す。私は輪に入れない。生理的に受付ない。

 現実の世界にある生は、営みは、そこで味わう絶望感は、ひとりぼっちではやり過ごせないものだろうか。壁打ちではダメなものか。誰かにわかってもらえ「そうな」場所を求めてしまうものか。ひとりぼっち。ひとりぼっちにこだわっていたい。

 ひとりぼっちにこだわって、なんとか言葉を組み立て、現実を超えてみたい。無理なことなんだけれども。超えることは100%出来ないんだ。だけれども人と人が簡単に励まし合う「ような」場所でバーチャルに気持ちが分かり合う「ような」環境であれば現実を超えた「ような」気持ちになってしまう。それはわかるよ。私も弱いから。でもね、だからこそ詩人という定義はとても高い場所に置いておきたい。少なくとも、あなたのなかにある「詩人」と私が語りたいけれど絶対に口にしたくない私のなかにある「詩人」は違うの。わかるかな。言ってしまえば谷川俊太郎さんは私のなかで詩人じゃない。いいんです。それでいいんです。誰がなんと言おうとも私の詩人は谷川俊太郎さんじゃなくていい。私はそのような考えを持っているので詩人同士の輪の中には絶対に入れません。どうぞ詩を今流行りの短歌みたいにしてください。どうぞ詩集本を売ってください。私は誰にも読ませないたった一つの宝物の詩を書いたら海にでも流そう。書いたら消してしまおう。私は私だけの詩が書ければそれで幸せである。私は私であって誰に褒めてもらわずとも幸福である。私は詩人の輪に入っていなくとも幸せだ。100人中99人、いや、100人中100人が詩人の輪を作っても、101人目の荒野のひとりぼっちを目指す。まあ、いうまでもなく私は詩人ではないし、詩人になりたいとも心底思えないけれども。私には私だけの憎悪があるし、その憎悪は絶対に言いたくないし、その憎悪を自覚しているから私は詩人ではないし幸福だ。歴史上いつも新しいことをやったのは詩人だった。らしいよ。

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