肉体労働は関節を痛める、では頭脳労働はなにさ

 現代社会において肉体労働はなんか忌避される。日本や欧米などの人間が何かと理由を付けて出稼ぎ・移民に肉体労働を押し付けたがるのは抗えぬ事実であるが、もはや中国人も頭脳労働で仕事を貰えないと悟るや躺平、メキシコ国境を越える南米人達とてどうやら楽で給料の高い仕事をアメリカで貰えると皮算用しているとなると、今や地球人全員が頭脳労働のお仕事を貰って当たり前と考えるようになってしまっているのではないか?嘆かわしい話だと偉そうに言いたくなる。世界的にホワイトカラーに求人応募が集中すればブルーカラーの賃金も下げ止まるように思われるので悪い事ばかりではないとは思うが。
 俺もパートのお手伝い程度なので偉そうなことは言えないのだが、確かに肉体労働は爪は割れるわ、腰や肩は痛めるわで体が痛い。実際に体を痛めて寿命を少しずつ差し出しているようなものなのだろう。それで俺は市場メカニズムは一応存在はしていると今でも思っている人なのだが、頭脳労働はどこも傷めずに済むとでも言うのだろうか。頭脳労働が何を痛める仕事かというとですよ。をキリキリ痛めて決断する、折衝する、ソースコードを書く。最後のソースコードは肉体労働との中間的性質を示すので半々のケースもあるということなのかもしれない。どの仕事でも寿命は等しく削れていくのだが。
 つまり人々が頭脳労働を胃壁に穴が開いて鬱になるようなリスクの無い仕事だと見なし始めると、途端に歴史で幾度となく立ち現れてきた貴族と化し、社会のお荷物になってしまうのである。それは頭脳労働者が権力を失うきっかけともなろう。ほんらい、頭脳労働者は片時も安心してはならず、その胃壁はボロボロでなければいけないはずなのである。

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