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AAEE国際「学生交流」プログラム発祥

ネパール研修後の学生の成長に目を見張った関は、それから毎年、夏季休暇中に学生10名ほどを連れてネパールに足を運ぶようになる。

山岳農村部に暮らす人々との交流は学びの宝庫であったが、同時に大きな障害もあった。「言葉の壁」である。ネパール語が話せない関と学生たちにとって、OKバジや彼の知り合いのガイドなしでは村人たちと意思疎通することさえできなかった。

一方で、関が開学以来親交のある、第二の都市ポカラの全寮制学校''シャムロックスクール''では全く違った。生徒は皆英語が大変に流暢で、日本の学生たちにも英語で様々なことを教えてくれた。学生たちは農村部と都市部の格差に驚くが、当時ネパールの実態に詳しくなかった関はこう説明した。

「この学校の生徒は極めて例外。この学校を見てネパール都市部の学校を判断してはいけないよ。」


そんな関が、ネパールの英語教育の真の姿を初めて目の当たりにした出来事を紹介しよう。

2009年、関は教育調査のために単身ネパールに渡った。当時、都市部に知り合いがいなかった関は、滞在したゲストハウスのオーナーの情報を元に、アポなし学校訪問を繰り返した。対応してくれた先生は皆揃って親切であったが、同時に「なぜ日本人がこの学校に?」と訝しがった。そんな中、ポカラ屈指の名門校だけは、校長兼理事長先生が真剣に話を聞いてくれ、真剣な口調でこう言った。:
「You should come back here at 9:30 tomorrow morning. You should not be late.」
(明朝、9時半に来てください。遅れないでくださいね。)

翌朝、時間通りに到着すると、学校の入口で多くの生徒が整列している。今日は何かあるのだろうか?と何気なく思う。すると、関たった一人を一斉に拍手で出迎えるではないか。そのまま学校の中庭に案内されると、次いでまさかの巨大横断幕。
”Welcome to Nepal, Professor Seki”
そこから全校生徒による盛大な歓迎セレモニーが始まった。校長先生の挨拶を除き、司会・進行や出し物はすべて生徒によるもの。さらに・・・すべて英語!ものすごく上手い英語!セレモニー後も多くの生徒が関の下に駆け寄り、立て続けに流暢な英語で話しかけてきた。
驚いた関は、既に訪問したいくつかの学校に戻り、
「生徒と英語で軽い会話だけでもさせてほしい」と懇願した。結果、皆英語が流暢、かつ知的に話すということを知る。

「ネパールの私立学校では小学1年から原則すべて英語で教育を行っているので英語が使えるのは当たり前」

「だったら、日本の学生とネパールで学生交流をやったらさらに新たなものが生み出せる!」

すぐさまそう直感した。

学生交流に関して豊富な実績をもつ関は、高校教諭時代を含め、カナダ、オーストラリア、イギリス、インド、タイなど世界各地で英語での交流プログラムに関わってきた。しかし、ネパールの人々にはこれまでとは違うイメージを持った。それはどこか、ネパールの人々の雰囲気による気がしていた。

以来、関は数年間かけて、「ネパールー日本2週間学生交流プログラム」の計画を練った。さらに、実際にネパールに暮らしながら現地の学生や教員たちと共に1年間準備に励んだ。

万全の準備をして迎えた、現在のAAEEのプログラムの原型となる「ネパール-日本 学生交流プロジェクト2013」。

当時を関はこう振り返る。
「とにかくあのプログラムは凄かった。目の前で起こるネパールと日本の学生の交流シーンが、僕の頭の中で何度も描き続けていたイメージと一致して鳥肌がたった。あれだけ準備したからね。予測が当たったときの感動は一生忘れない。まさに理想の交流。あのイメージがあるからこそ、辛いことがあっても立ち上がる原動力になってるよ。」

あまりにも幸せそうな顔をする関に大瀬は一言。
「具体的にはどんな交流だったのですか?」

すると関は待ってましたと言わんばかりに、様々なエピソードを語りだした。
ーーーーー

あの頃は、今みたいに具体的なテーマが決まっているわけではなかった。あくまで「交流」がメイン。ほぼ「遊んでいる」ような状態だった。とにかく交流場面を豊富に作り、学生の心の変化を促すことだけに集中していた。

交流が始まった数日はチームビルディング。
関の居住するホステルの庭で、ゲームや踊りで騒ぎまくる。とにかく片時も離れずくっついたように一緒にいることがコツだった。

「根拠となる理論は結構単純なんだけどね。」

打ち解けた彼らは、次に共同作業に取り組む。
不便な農村部への旅とそこでの現地の人々との交流だ。

誰もが1時間で着くと思って山登りをし始めたのに、歩いても歩いてもゴールは見えない。ゴールについたのはなんと5時間後。学生はブツブツ文句を言いながらも互いの仲をどんどん接近させていく。壮大な自然が彼らの心を開いていく感覚がした。

山歩きや村での滞在中は圧倒的に自由時間が多く、そのために彼らがじっくり話し合う時間は多い。何気ない会話から得られる情報は数知れないだろう。

「ネパール人はエベレストを見たことがあると思ってたけど、実は参加してたネパール人学生は誰も見たことがなかったんだよ。その上、ネパール人は山登りが得意じゃない。普段バイクに乗ってばかりだから。日本人の方がよっぽど体力がある。そのことに、日本の学生たちは驚いていたよ。」


その話を聞いて大瀬は言う。
「まさに、ステレオタイプですね。逆に、ネパール人から見た日本人に対するステレオタイプはあったんですか?」


関は笑いながら教えてくれた。
「プログラム前、僕以外の日本人と会ったこともない彼らは緊張のあまり、揃って不安を口にしていたよ。
『日本人は先進国でテクノロジーが進んでいて全員真面目、勤勉。私たち、ついていけるかな。みんなITスキルもすごいだろうし。東日本大震災の時の日本人の道徳心の高さも目を見張る。私たちはついていけないかも。』
でも、出会った日本人学生は皆ユニークで面白い人たちばかり。ITスキルも思っていたほどではなく。ギターを弾いて歌を歌ってくれたり、踊ったり、一緒に泣いて笑ったりして・・・日本人に対するイメージがガラッと変わったみたい。」

「最後のお別れ会は世にも美しいイベントだったよ。始まる数時間前から皆大号泣。一人一人のスピーチの内容なんてもはやどうだっていい。交流の美しさがあそこには詰まっていた。あんな感動シーンは滅多に見られるものじゃない。僕にとってはそれまでの様々な邪念を清めてくれる神聖な儀式となった。今でも、あの理想のお別れ会を毎回目指している。」

このプログラムの様子は→https://www.youtube.com/watch?v=9mT9cZwt2-0


「この学生交流プログラムはいける」

と肌で感じた関、実はこの時から既に他国でも同様の学生交流プログラムを実現すべく準備に奔走していた。

話を聞いていて大瀬は改めて感じる。
「この人の行動力は果てしない、、、」


次回、関がアジア中でネットワークを構築し、ベトナムプログラムを作り上げた背景が明かされる!
お楽しみに。


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