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【色んな異論】”頭のいいひと”が宗教に吸い寄せられる理由

オウム真理教が話題になったとき、なぜ高学歴の”頭のいいひと”が入信するのかが話題になりました。

それについて、私が考えてみたことを記しておきます。

学校は「なぜ」を考えるトレーニングの場

近代以降の学校は、合理的思考をトレーニングする場です。
そこでは「なぜ現象が起こったのか」、「なぜこの商品を買うのか」など、「なぜ」を探求することで、科学的な思考や経済合理的な行動を身につけることが主眼になっています。

「なぜ」には2種類ある

さて、「なぜ」には2種類あるのにお気づきでしょうか?

1つは、「なぜ(どのようにして)」現在の状態に至ったかの「なぜ」です。

問題が起こったときにその原因を考える「なぜなぜ」はこの「なぜ」です。
ミステリー小説で言えば、密室で「なぜ(どのように)」殺人が行われたのかを考える思考にあたります。

もう1つは「なぜ(何のために)」物事が起こったのか、の「なぜ」です。

ミステリー小説なら、「なぜ(何のために)」犯人はその人を殺したのかの方向です。

「なぜ」には2種類ある

学校では、前者により科学的、学問的な思考を培い、後者により合目的行動ができるようにトレーニングされます。

科学・学問は「なぜ(何のために)」に答えてくれない

さて、小中高から大学へと”頭のいいひと”が学校を上がっていくにつれ、科学的、学問的思考力が高まります。

しかし、科学・学問は、よく考えてみると「なぜ(どのようにして)」は深く追求しますが、「なぜ(何のために)」にはほとんど触れません。
(政治学の権謀術数の研究や、哲学、倫理学では若干、出てきますが)

宗教は「なぜ(何のために)」にも答えてくれる

一方、宗教は両方に答えてくれます。
そもそも、「なぜひとは死ぬのか」≒「なんのために死ぬのか」に答えることが宗教に求められているのですから、当然といえば当然です。

学校で「なぜ」思考のトレーニングを長く受けてきた高学歴のひとは、自然んと「なぜ(何のために)ひとは生きるのか」という疑問を持ちます。

しかし、科学・学問はそれに答えてくれず、それに答えてくれるのが、宗教なのです。

そして学生や40代の多くが、宗教に吸い寄せられる

この結果、勤労を免除されたモラトリアム時代の学生や、子育てなど「〇〇しなければならない」時期が過ぎる40代くらいに、「私はなぜ(何のために)生きているのか」という根源的な疑問を抱き、宗教に吸い寄せられる道ができる、という構造と思います。

高学歴なのに、ではなく、高学歴だから、宗教に吸い寄せられるわけです。該当するひとは、注意してください。


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