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なぜMITの学生の4割が音楽科を履修するのか?

世界最高峰のIT技術者養成大学であるマツチューセッツ工科大学(MIT)では、60年も前から音楽科目が設置されていて、学生の4割が音楽科目を履修していると聞いて驚く人は多いのではないかと思います。

音楽とは一番縁遠いところにありそうなIT学校が何故音楽業育に力を入れているのか?                                      それは、音楽を通じた人間への理解を深めることが創造性を育み、そこからイノベーションが生まれるからとのことです。

音楽が人にもたらす影響は、何も癒しや感動だけではないのです。                                音楽を通じて、人間(作曲家・演奏者の意図・ストーリー)を理解するところから始まり、合奏を通じて相手の心を聴き、相手に寄り添って合わし、想像力をフル回転させ、皆で一つのものを創造していく、そのプロセスを身に付けることがとても大切なのです。

そして、0と1の世界で一つしかない正解を求めることではなく、人間の多様性を認め答えは一つではなく、答えを出すことにより「問う」ことに意味があり、そこから創造とイノベーションが生まれることを学ぶことができるということなのです。

日本の教育のどこにこのような発想があるでしょうか?                                   一般の大学や音楽大学、小中学校での音楽授業などで、このような観点で音楽を捉えて人を育てようとしているところがあるでしょうか?

日本の国力をITやDXで浮上させると言われていて、「STEAM教育」ほ推進するということになっていますが、その為に必要なことは、まさにMITで行われている教育であり、それは文科省・学校関係者だけではなく音楽関係者も強く認識して様々な活動の中で理解を求めていく努力が必要なのではないでしょうか?

この背景となる音楽ジャーナリスト菅野恵理子さんの著書「MIT音楽の授業」から部分的に引用させいてただきます。

「エンジニアたちは創造的な問題解決法を編み出すために、人文学やアートの経験が役立つことに気づいています。それにテクノロジーや科学技術の発達に伴う問題の多くは、人間性理解の欠如からきています」技術革新が進むほど人間理解が必要であることが強く意識されています。

協奏曲や交響曲における心理描写やドラマ構成を考察する授業では、各楽章がどんな形式でどうデザインされているかを考察しますが、「なぜここで感情が喚起されるのか、どのような意味があるのか」など、ストーリーテリングという普遍的概念に置き換えて考えるように授業が工夫されています。

一人一人が集まって音楽を創っていくアンサンブルは、音楽を通じた社会体験です。お互いを聴き合い、折り合いをつけながら、物事を決めていくというプロセス、新しい世界観をどう構想し、どう協働してつくり上げるかが身に付いていくのです

数学や工学の世界とは違い絶対的な正解はなく、むしろ偶発性や神秘性こそが芸術であり、人間がいかに欲深い存在であるかを音楽を通じて学ぶのです。オペラなどはその最たるものだと言えます。                

そして、近年米国では、音楽やアートが「創造的思考を伸ばし、イノベーションを誘発する」「多様性への理解や共感を促す」との認識が広まっています。
ですから、もともと「STEM教育」を推進していた米国では、そこにArtを加えて「STEAM教育」を推進するようになったのです。

しかし、日本においてはSTEAM教育は名ばかりで、Artについてはデザインが一部の大学で学ばれているにすぎません。

菅野氏がリサーチされたMITを始め、ハーバード大学など米国の主要大学のこうした音楽、特にクラシック音楽を通じた人間追究のアプローチは、今の日本の学校のみならず、IT系企業をはじめとした全ての企業の社員に必要不可欠なものではないかと痛感します。

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