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大人になりそこなって、また夏を好きになっていく

小学生の頃よりずっと、高校生の頃よりもっと、23歳の私は夏が好き。
どの季節より、ぶっちぎりで。

実は自分でもそれがどうしてなのか、今までそんなにわかっていなかった。暑いのに耐性がある方だから暑いほうが好きなんだと思っていたし、周りからもそう思われるんだけれど、どうやらそれだけじゃなさそうだぞと思う。

私は、きっといつまでも夏の中で「こども」をしていたい。

夏は、どこか子供でいることを許してくれる気がする。誰もが子供時代の時間を夏に置いてきている気がする。だから思い出はいつも、夏の景色と温度が彩ってくれる。

24歳になるこの年に、夏を改めて好きだと思う。気だるい暑さが何か運んでくれるんじゃないかと期待してしまう。夏の風景は私を切なくさせる。子供の頃に大人だと思っていた23歳は、夏の終わりを誰よりも寂しがってしまう。

小学生の頃は、夏休みに一緒に遊ぶ友達がいなかった。クーラーとアイスと読書が、私の夏休みだった。クーラーの効いた部屋には独特の匂いがあるし、箱にたくさん入ったアイスは棒に毒々しい色が残るし、読書の静けさは蝉の声を響かせた。友達と虫取りに行ったり、一緒に宿題がしたかったわけではないから悲しくはなかったけれど、とにかく私にとっての夏休みに友達はいなかった。そもそも学区外の学校だったから、子供だけの力では気軽に会えなかった。

今思えば、家の庭にビニールプールを出したり、凍らせたチューペットを1日に何本も食べたり、手持ち花火をしたり、夏は満喫していたと思う。私の記憶にはいつも妹がいる。彼女は騒がしく私の周りを走り回っていたから、きっとあなたが思うより私は一人ではなかった。そして家族旅行が大好きな父が必ずどこかへ私達を連れて行ってくれたから、全然一人ぼっちじゃなかったんだ。いつも幼い記憶は私を一人にさせるのだけれど。

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高校生の夏休みは、部活の練習だけで埋め尽くされていた。バレーボールしかなく、バレーボール以外は寝て食べて休んで、それすらバレーボールのための時間だった。夏休みはとりわけ練習が過酷だから、夏が来てしまうことがいつもとても恐ろしかった。毎日、終わらない練習が繰り返され、終わったと思ったら明日が来る。体育館の巨大扇風機の前でだらしなく寝転んでいた時間は、家族より友人たちと過ごした時間の象徴かもしれない。あの日々は幻のように、私の青春の全てだった。

焼けた暑さのプールとアイス
白いシャツと青い空と入道雲
夕暮れの生ぬるい空気と海辺
蜃気楼の中の真っ直ぐな坂道
夜から降り注ぐ花火の光と音

今、私を切なくさせる夏の風景はみんな、自分が見てきたものじゃないかもしれない。私の手に入れられなかった憧れたちかもしれない。

その夏に憧れ続けたらきらめきに追いつけるのでしょうか。

夏を好きだと言う人は、私の周りには少ない。その中でも夏を好きな人は、日差しが出たらビーチに走っていってビキニで黒こげになっている。

私は、夏はいつも日傘をさして、白粉のように日焼け止めを塗り、トマトジュースばかり飲んでいる。ビキニは着ないし、海やプールで声をかけてくる金髪のお兄さんは正直かなり苦手だったりする。

そしてどこの夏でも好きなわけではなくて、日本の夏が好き。リゾート地や南の島に特別な思い入れはない。

でも、夏に憧れてしまう。夏には特別な魔力がある。春の儚さも、秋の美味しさも、冬の美しさも、夏がみせる夢には敵わないと思ってしまう。

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大人になれば、もっと春や秋の曖昧な心地よさを気にいると思っていたのだけれど、違ったみたい。歳をとるほどに、季節が記憶を呼び起こすようになってしまって困る。

きっとこれからも、夏を好きなままで生きていくんだろうな。どんなに暑い日が増えて、熱中症の警戒アラートなるものがでて、もしかしたらこれからもどんどん生きづらい季節になってしまっても、また夏が来たら溺れてしまうことを止められないのかな。

大人にはなりそこなっているけれど、子供の頃よりこの一つ一つの情景と郷愁を痛いほど味わえている。小学生の私に伝えてあげたい。23歳になったら自分の好きなアイスを好きなだけ買えるよ。もっと遠くの景色も見られるよ。もっとずっと自由になれるんだよ。だからこれからの夏を楽しみにしててよね。

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