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コンテンポラリーダンスという概念

Contemporary Dance

現代舞踊、舞踏やモダンダンスなどと日本では言われています。そして、クラシックバレエやヒップホップ、ジャズダンスやタップなどとは違い、あまりテクニックが形成されにくい特徴ではないでしょうか。

そこで、自分の思うコンテンポラリーダンスの印象を書いていきたいと思います。


コンテンポラリーダンスに関わっていながら、自分は歴史にはあまり興味がありません。グラハムだとかベジャールだとかピナ・バウシュだとかオハッド・ナハリンだとか様々な振付家の名前はよく目にしますが、コンテだけというのは説明がしにくい。クラシックからネオクラシックになり、それからモダンだとかコンテンポラリーだとかに変化していったぐらいしか思う事はありません。

ただ、流れ的にはその系統を組んでいたのか、クラシックをやることが基本にあります。そしてバレエを踊るオペラハウスにも最近はコンテンポラリーが必須にもなってきています。

まあ、今となってはその流れも薄れつつあり、クラシックを全くやったことがないコンテンポラリーダンサーも多数います。なんと言ってもその動きや表現はあまりにも違うと思いませんか?


クラシック、バレエはラインとジェスチャー、主な部分はこれで説明できるのではないだろうか。いかに身体のラインを綺麗に見せるか。爪先を伸ばしポイントで立ち、手の指先まで長く伸ばし、柔らかくしなやかにラインを見せる。その為にも細身の身体で培ってきた技術を駆使しながら表現を組み入れる。そして、物語などで会話を表現するのに「ジェスチャーに似た声のない動きの言葉」で進めて行く。

では、皆さんの思うところのコンテンポラリーダンスってどうですか?自分が始めにコンテを良く知らない人に聞くとまず出てくるのが、「わからない。」何を言いたいのか意味不明、奇妙な動きや裸が多い、などです。

では、自分にとってのコンテとは何か。それは、「感情と感覚が溢れた時に動きとなるジェスチャーではない想像の残像」だと思っています。


コンテンポラリーはダンスに限らず音楽にしても絵にしても「難しい、奇妙、理解不能」が多いのは、人は納得するもの(知識)に答えがあるべきだと思うからではないだろうか。これは思うと感じるの違いが大きくなってきます。

答えのない問いが目の前に現れると、責任は全て自分に寄り掛かってきます。つまり、「この作品を見た時に貴方はどう『思いました』か?」と聞かれると、咄嗟に正解を言わなければいけない、間違っているのが怖いと思って、結局のところ答えは「わからない」と言ってしまいがちです。まあ、なんと言っても答えはないわけですからそれでいいでしょう。

ただ、「この作品を見て貴方はどう『感じました』か?」と聞かれるとどうでしょう。その時は答えやすいのではないでしょうか。何かよくわからなかったけど惹かれるものがあった。何かどす黒い感情が現れてみてられなかった。何か眠気が襲ってきて気がついたら安らかな気分になった。などなんでもその時の感覚を話せばいいはずですから言いやすいのではないでしょうか。


自分にとってコンテンポラリーの作品とはそういうものです。答えがないのに想像や感情が起こしたイリュージョン。だからと言って作者に目的がないわけではなく、メッセージはもっと深くに刻み込みたいわけです。だから綺麗なものではなく、美しい感情、美しい恐怖、美しい爆発を見せる事が多いのかもしれません。

理解はできないかもしれない。それは作者が貴方に答えを強制はしないから。でもこっちは全力で裸になってまでもぶつかって行く。そういう強烈な作品もコンテンポラリーには潜んでいます。


質問で、「コンテンポラリーの作品はどうみるべきか」と聞かれますが、自分の考えはこんな感じでしょうか。作品に触れて、見て、感じた感覚が貴方唯一の答えではないですか?

人には好き嫌いがあり、やはりいいと思う作品とこれはちょっとという作品は必ずあります。ですが、コンテと聞いただけで惑わされないで欲しい。もしかしたら思いも寄らない驚きが隠れているかもしれませんよ。

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