利き手、利き足じゃない方に倣ってみる
先週、パリにて久々にリハーサルがありまして、1週間ほど創作に携わってきました。やはりスタジオで動きと対話するのは本当にいいことです。ダンサーとして、まだまだその部分は追求していきたいものです。
実はその週に、一人のダンサーの彼氏が陽性だったらしく、彼女自身も陽性であることが判明したため、今は家で自粛。明日にはテストをして確認するのですが、自分には症状らしきものはでていないので一安心な夢狂斎です。よろしくお願いします。
さて、今回の『身体と動きの不思議』は、根っこについてです。根っこというと意味が分かりづらいでしょうが、身体の使い方と意識の一つとしてこの表現にしました。つまり、クラシックで例えると、爪先を伸ばすという行為に値すると思います。
まだまだ分かりづらいでしょうから、もう少し噛み砕いて書くとすると、先っぽ(指や爪先)だけに集中すると、それを中心『核』と繋いでいる手首や足首が疎かになってしまうという意味です。
これは毎朝行っている気功と太極拳でゆっくり動いている時にはっきりと身を持って感じられるのですが、ゆっくりと動くから全体が一つになって芯を感じられるからだと思ってます。
若輩だった頃の自分もやはり、「爪先を伸ばせ、指先にまで力を入れろ」と言われればそこだけに集中してしまいます。これは間違っているわけではないのです。決して間違ってはいないのですが、『意識をそこまで伸ばす大切さが、どういう経路を通っているか』が大切なのです。
さらに『首根っこの力強さがその先の先にあるモノの芯を捉えるかどうか』に関わってきます。利き手の場合、その器用さが勝ってしまうと、制御しすぎようとして素直な動きになれず、怪我や疲労につながっていきます。
若い頃は本当に「それでもいい、自分には関係ない」と思っても当然です。回復力が疲労にまさっているからです。しかし、その無茶振りをずっと続けていくと、己の体ではないようだと表現される人が増えてきます。そこで新たにこの首、関節の部分で芯を捉えられているかにかかってくると思っています。
利き手、利き足でない方は使いにくいと感じるでしょうが、そのバランス、筋の入り方は効き軸よりもいいのではないでしょうか。実はそこにヒントがあると思っています。
ゆっくりと動いた時、「あ、この感覚は体が落ち着く」と思える場所、そして持っていき方が見ていて美しいと感じられる瞬間でもある。そしてその感覚を保ち、さらに流れを作るように素早く動けるようになり、その芯の使い方ができるようになった後で技術を向上させれば、文句の言いようがなく、怪我や疲労も少なくなっていくと思います。これが基礎の大切さの意味ではないでしょうか。
自分は40を超え、今まで無茶もたくさんしました。クラシックから入ったダンスで、足を開けと股関節を16ぐらいの時に「ゴキン」といわし、開いたはいいが、いまだに後遺症があったり、使い勝手のいい利き手と腕の方が今は疲労(肩に違和感)しやすくなっていたりと色々とあります。
毎日がこの体との対話の延長線上です。自分の身体はいつまでたっても一つ。生かすも殺すも自分次第ですので、若い頃から対話をしてみてください。たまには利き手でない方に倣ってみるのもいいかもしれませんぞ。
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