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目的の本当の威力

元々プロのダンサーになるとはどう言う事なのかも分からぬまま、ダンスで留学し、卒業するまで続けていたというのが現実。ダンサーになれるとは思っていなかった本音は前にも書いたが、ダンスで食べていけるというのはなんなのかも考えた事などありませんでした。

もしかしたらそれが功をなしたのか、ただ突き進んでいった結果が、ダンサーになれたという事。学校に行き、ダンスのカンパニーに入る。それができればダンサーとして舞台に立てる。これがレールにあったから進んだ。だから、プロのダンサーになれた、などとカンパニーに入った後でも考えていませんでした。


ただ、風向きが向かい風として襲ってきたのが、カンパニーに入ってから3年後。

自分は、ダンスのカンパニーに入れた。プロと呼ばれるダンサーにもなれてしまった。目的はどうやら果たしてしまったようだ。そして襲ってきた疑問がこれ

「じゃあ、次はどうすればいい?」

プロのダンサーになれたと言う事で舞台にも立ち、経験も積み、カンパニーでの立ち位置もなんとなく落ち着いてしまったので、自問する日々が続きます。

周りにもそういうダンサーは多く、大体それぐらいの期間で次のカンパニーを目指す人が多い。だから「俺の目標もそこなのでは?」と周りの意見になんとなく流され、芸術監督にも今年いっぱいで辞めて、次に行きたいと言いました。


ただ、ここで大きな疑問が自分の中に存在していたのです。それは、「目的もないのにどこに行きたいんだ」と言う事。

大抵、カンパニーを辞める目的は、自分が「あのカンパニー、振付家と働きたい」という背景の元、行うべき。止めれば仕事はないし、露頭に迷うだけなのではないかと。

だから、考えもなし、オーディションものらりくらりで見ているだけ。その頭の片隅には、「ダメだったら日本にでも帰ろっかな」でした。


これははっきり言って負け犬の発言です。生きる面にはどうにかなるって事なんでしょうが、生き様としては最悪。格好悪いの一言。

ただ、自分では何かしっくりこなかったのです。プロにはなれてしまったし、ダンスを続ける意味もよく分からないし、気力がない。好き嫌いでは判断できないし、モティベーションがない。振付はやり甲斐はあり、舞台に立てば、やはり全力は尽くすのですが、そんなんでいいのか?と思ってしまうわけです。

ただ、ここで思わぬダンスからのシッペ返しが来るのです。それは、ある女性からの一言でした。


その頃、気になっていた女性がいるのですが、自分はどうも女性運がないのか、成功した試しがありません。自分が選ぶ人が自分に合わないのか、何もよく分からないままアタックしていたのかもしれません。(若気の至りだねー)

ただ、他人から自分が思っていた事を言われた事でショックを受けました。

「辞めるのだってどうせ日本に帰っても帰る場所があるからでしょう?」です

そう、自分はバレエの学校の先生の息子。だからの軽はずみな、カンパニーを辞めて適当にしてればいいと鷹を括っていたのです。


内面では分かっていても、他人から言われると違う衝撃で捉える事ができるものです。つまり、自分が一番嫌いだった、「息子だからどうこう」という話に結局は甘えていたのです。

これでは女性にモテるわけもなく、露頭に迷うのも当たり前。目的を持たない人生は人を地の果てに追いやります。実はそれから、家で8時間ほど蝋燭の前で座り、自分との対話をしてみました。正直にもやもやと対話です。


次の日、寝ていないまま劇場に行き、カンパニーの芸術監督に「できれば辞退を撤回させてほしい」と懇願してみました。

正直に露頭に迷っていた自分がいた事。ダンサーとしてまだここでやるべきだと思った事を話し、通常であれば不可能なのですが、在住する事を承諾してもらいました。

人生には色々な段階があると思います。プロのダンサーという立場に立っても、底辺に自分はいるのです。それが自分は見えていなかった。肩書に惑わされて、自分は露頭に迷っていただけだったのに。


目的は、多分なんでもいいんでしょう。その時の目的は、その女性ともう少し長い間、一緒に活動してみたいというだけだったのかもしれません。でも、このきっかけが自分を変化させるきっかけになるのであれば、正直に行動してみてはどうだろうか。

綺麗な目的なんてなくていい。ただ、自分のモチベーションがあがるのであれば、そのどす黒い目的のエネルギーを使って、いい方向に持っていけばいい。モテたいから体を鍛える、金が欲しいから一生懸命働くなど、人間の腹黒さで歩き出して、最後に悪に落ちなければ。

実は、このきっかけが自分を底辺から覆すとは、その時は思いもしなかった…

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