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時間軸の捉え方

 フランスの二度目の自粛が始まり、もうすでに2週間以上経過したのですが、今回は以前と違い、どこか息苦しさ(重み)が増しています。前は春だったのもあり、庭の手入れや気功なども陽気にできたりしたのですが、秋から冬にかけて流れるこの季節は、天気が少しでも灰色になれば、よくも悪くも内心に深く潜り込みそうになります。

そこで色々と考えたのですが、毎朝起床後にしている気功と太極拳をインスタグラムでライブ配信する事にしました。この自粛の期間になると、自分の周りでは仕事ができない状況の人も多く(ダンスはコンタクトがあったり、外移動が必要になるので)、モティベーションが下がってしまいます。それで少しでも朝に深呼吸と深部の運動ができればいいかなと配信しています。

だからと言って、誰々がどうこうしてくれればなって思うわけでもないんですが、なんと昔のオランダの生徒がメッセージを送ってきてくれました。それは、同じスタイルの太極拳と気功を続けるべきなのか(無変化)、それとも新しいスタイルを学ぶべきなのか。という質問でした。


 これは面白い質問なんです。なぜかと言うと、太極拳も気功も『動きがシンプル』だからです。ダンサーをしている人にとったら、太極拳も気功もゆっくり動く、単純な動きなのですから、一度振付けを自分の身体に入れ(慣れ)てしまえば、ダンサーにとっては終わりになるようなものなのです。

だから、このダンサーの生徒の質問も納得のいくものとなるわけですが、動きの流れ(振付け)になれてしまうと、もう一つの大切な動きの深部を見れなくなってしまいます。それが、熟成すると出てくる動きの深みです。

ダンサーにも振付けを覚えて取得するのが早い人もいれば、遅い人も当然いるわけです。振付けを覚えるというのは身体をその動きに合わせて流れを紡いでいけばいいわけですが、難しい技術が出てくると、そこがダンサーにとって挑戦であると思われる、『フォーカスされやすい』のですが、それでは技術がある人『だけ』がダンサーになってしまいます。これは、競技などでダンスコンペティションの場合はいいでしょう。

自分は、そんな天才集団の一人では決してありません。コンペはすぐに落ち、技術はなかったし、体型もダンサーに適していませんでした。ただ、振付けを覚えるのは早く、他人の振付けも覚えるのはそこまで難しくなかった。これは前にも書いたと思いますが、自分ができる役目をこなそうとした結果でした。


 今回はそれに付け加えて書きたいのが、振付けは取得してから熟成させなければ、早く食べ終わってしまう、保存が効かないということです。

同じ事を毎回繰り返し、体と向き合うのを『コンディション作り』と考えます。そして、技術を磨き難しいムーブに挑戦することを『表現の幅広げ』と考えましょう。気功や太極拳は、内臓の動きや身体の内側を丈夫に、そして柔軟を促す運動。技術を支える芯を作っている運動だと思います。

ダンサーにとって、動きを取得するのは、動きになれていない人からすれば魔法のように簡単にできます。ですが、慣れていない人が10年続ければ、ダンサーが1週間で同じ動きを取得して動いても、重みがまったく違います。ですから、太極拳や気功の動き方で深く動くと、ダンサーは何もできません。なんと言っても体の作り方は全然違うのですから。


 では、シンプルな動きで楽に覚えられるのに、なぜに続ける事ができないのか。それはダンサーでない人のやりにくいポイントも、やはり『ゆっくりした動き』なのではないですか?そこで、何故にゆっくりも必要と思うのか、少し想像してみてください。

「冬に大きな炎の前で10分あたり、その後50分は寒いのか、カイロで50分ポカポカ暖かく、切れかけて10分少し肌寒い。」どちらがいいですか?

気功や太極拳はカイロのような感じだと思ってください。これがメンテナンスとなっていくわけです。『ゆっくり』とは、ただ遅く動いていては意味ありません。その先に光と闇の深海を潜っていく感覚があるのです。意識を持ってゆっくり、巨大な丸い岩を少しづつ転がすかのような感覚、力だけでは足らず大地の力も借りるかのような感覚、なんでもいいので、『気』を使いながら動くとよりいいでしょう。

小宇宙の人体、その規模を広げるのも狭くするのもこの時間の捉え方だと思っています。

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