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推し活は鬱に効くという話。ニディガ展2に行ってきた。

 人生の目標を定めておきながら、生まれてこの方二十年(※実年齢二十歳です)何の成果も出さずにダラダラと生きていた僕。自己を叱りつけ、しっかりせんか! と鏡に向かって檄を飛ばすも三日坊主の繰り返し。もうすぐインターン応募の時期が迫るというのに、人生で何事も成したことが無い今の状況に、凄まじい焦燥感とこの上ない絶望を感じています。

 やらなきゃいけないことは、分かってる。あとはそれをどう継続するか、という話なのですが、ここでネックになるのは人生経験の無さです。というのも、一定の期間に努力を続けて何か事を成すということを大方の人間は「受験」や「部活動の大会」といった形で体験しているはずなのですが、僕の場合高校と大学の一般入試はロクに勉強しなかったので全て不合格でしたし、部活動も文科系の内容でそこまで精を出して何かをやったわけでも無かったので、周囲に認めてもらえるような経験がまるでないのです。

 人生経験が無いという話が、いったいどうして継続力に響くのか。それは単純明快で、何かするにしても自信が持つことができないのです。一念発起しても脳裏に浮かぶ「どうせ無理」の言葉は実に凶悪で、自分の意志を何としてでも挫こうとしてきます。そうしてまた挫折を繰り返す度、自己否定と憂鬱とした感情に苛まれて何もかもが嫌になる……というのが、僕の人生の日常であり、今も尚それに向き合わざるを得ない状況にいます。

 いくら考え込んでいても、行動無しに現状は変えられませんから、わざわざ過去の辛苦を思考する悪癖を止めてしまえばいいのです。だけど……集中力が無くなるとまた脳が勝手に考え事に耽ってしまう。考えて、また鬱になる。何もしたくなくなっちゃう。辛い。辛い。辛い。


 思考の悪循環にすっかり参ってしまい、こりゃあいかんと悩んでいたある日、ごろ寝しながらYoutubeで動画を漁っていると、ニーディーガールオーバードーズの2周年記念配信がやっていたので、さっそくリアタイ。

 パペットの超てんちゃん可愛いなぁ、公式さん売ってくれねえかなぁ……なんて思いながら見ていると、ニディガ展2の告知が発表。これは是非行かねばと思い立ちチケットを予約、本日会場に赴きました。

 会場の外はトプ画で見せた通りですので、展示物の写真をいくつか掲載。

等身大超てんちゃんとツーショット。社会的不適切なキモヲタは検閲済み。
最高にキマってる通路。僕もこういう演出やってみたい。
あめちゃんのお部屋。空間に散在する物体のコントラストが激しい。
あめちゃんのデスク周り。僕の世代では64は実機見たことない人が殆ど。GBも知らんと思う。
お前らの愛。スパチャしたり昇天したりお礼を述べたりしても、お顔には絶対に触れない精神。
創造神。にゃるら先生はネットエッセイストのパイオニアだと思うんだ。

 とまあこんな感じでメチャクチャ楽しかった! 僕にとってニディガは非常に思い出深いゲームで、内容と演出双方の面で強烈な印象を植え付けてくれた名作だと思っています。ゲーム内ではあめちゃんを愛でたり、破滅に導いたり、インターネットを終わらせたり、殺されたりしたけど、こう実際に出会うとまた違う感覚を得られるというもの。たいへん新鮮な思いで楽しめました。

 物販コーナーでは色々と物色してましたが、あめちゃんのコスプレをした女性スタッフが僕に話しかけてくださり、これまた素敵な思い出ができました。大変感謝。すっごく可愛い。可愛くて優しい女性とか最上級に偉いし格好いいよな……。

プライバシー保護のためモザイク。僕の方は言わずもがな。

 展示会グッズを死ぬほど買い漁り、えげつない程の出費に苦笑ながら、このお金で作者様・現地スタッフの懐が少しでも潤ってくれたらと願い、帰路についた。改めまして、スタッフの皆様本当にありがとうございました。

 家に帰り、買ったアクリルスタンドやぬいぐるみを作業デスクの横に飾る作業にとりかかる。僕の机はPCのモニターを置くと横幅の半分を使ってしまうため、左半分をPC環境、右半分にグッズ類を並べるという算段です。学習机を未だ愛用する者の苦悩でしょうか。暫くすると、以下のようになりました。

窓際の幸福。寒いところに座らせてごめんね。

 眼福に富む素晴らしい光景。辛いとき視線をちょっと右にずらすだけで心が少し幸せになります。万人の心を癒す究極の概念、それが『可愛い』。可愛いは正義とはまさにこのこと。僕だけの身近な心の拠り所です。


 現在の僕はこのエッセイを何とか書き終えようとしていますが、あなたがもしこの拙文をお読みになられたのであれば、ハッキリ言ってそれは奇跡に等しいです。というのも昨日までの僕は、何度もエッセイを書いては途中で破り捨てるの繰り返しでしたから。単純に文章の出来不出来も関係しますが、個人的最大の要因は前置きで述べました通り「自信が無かった」からです。今ならそう確信できます。

 僕にはやらなきゃいけないことが沢山ありますし、自分の人生に向き合う責任がある。これから様々な事に取り組む上で、必ず僕は相応の辛苦に苛まれることでしょうが、そう逃げ出した末路に挫折が待っているのであれば、辛いときこそ身近な心の拠り所に目を向けて、少しずつまた頑張っていこうと思います。

 最後になりますが、もしよろしければ貴方も“推し活”してみませんか?
きっと何か身近な幸せが得られるかもしれませんね。


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