何も無い人間が何者かになるためのは、想像を絶するほどの努力と、一縷の奇跡をつかむ強大な運が必要です。広大なネットの世界でバズり、大衆から広く認知されるには、いつか当たるまで継続して投稿しなきゃいけないわけで、SNSすら禄に毎日投稿できていない僕は、マジでゴミカスキショキショ人間だなあと思わざるを得ません。 発送の転換をしましょう。ではなぜ、僕は継続して努力することができないのでしょうか。日常での行動を顧みて、僕という人間の時間の使い方を再確認すれば、対策は色々と建てられ
ローマは一日にして成らず。 聞き慣れた諺だが、実にごもっともだ。世の中を動かす様々な企画というのは、その立案から実行まで何ヶ月、何年という時間を費やして遂行される。 長期間にわたって、己の意志を貫くというのは大変難しい。人間の脳はそれこそ、物質的には毎秒毎秒変化している。脳細胞や神経細胞は絶えず物質を運び続けており、外部からの些細なストレスでも人はすぐに変わってしまう。昨日は仲良かった母親とも、翌日ではすぐに喧嘩をする。ただでさえ情緒不安定な僕には当たり前すぎる日常だっ
自縛。 それこそが、僕が未来に歩みだせない理由。 僕の環境や歴史というのは、安寧そのものであった。 社会や親が与えるレールの上をただ歩くだけの人生。他人と異なる道に進みたいと、どれほど思ったところで心の箍は外せない。親に相談したところで、強く反対されたらそれまで、意志の弱い自分は何も言い返せなかった。 そうやって、何度諦めたことか。 心の奥底、理性が効く表層心理ではない、深層心理に潜む声が、僕を安寧の地から離させないと意地を張る。強く、強く、縛り付ける。 平凡で
承認欲求。 それは誰しもの心にある抑えがたい欲望。欲望の強さは人によりけりだが、僕のそれは極めて貪欲だった。 学生の頃。僕は先生や周囲の生徒に可愛がられたいという一心で、なりふり構わず色んな人に喋りかけた。昼食時や授業中など、沈黙が続くときは自ら話題を出し、会話の流れを無理矢理設けた。今思えば、典型的な問題児だったが、自重することすらもできない僕を、先生たちは苦虫を嚙み潰しながらも受け入れてくれた。 そして周囲の生徒も、僕を「友達」と認識してくれる人が多かった。他人や
現実世界に嫌気が差した人間が、妄想の世界に逃避し入り浸るようになったことで、現実と妄想の区別がつかなくなってしまう……といった作品は意外にもよく見受けられる。『さよならを教えて(※エロゲ)』や『パーフェクト・ブルー(※アニメ映画)』といった作品では、その悲劇性や妄想狂がいかに哀れな存在かを客観的に示しており、多くの作品でも妄想狂はその様に描かれることが多い。 私はこうした傾向についてやや懐疑的である。どうにもならない現実を、都合の良い妄想でブレンドし、味わい深い世界を追
昨日は唐突に電波な記事を書きましたが、僕は正常です。頭にぱっと浮かんだアイディアはどんな内容であれ出力した方が、自分が何を思い、考えているのかを再確認できます。皆さんも、エッセイは毎日書きましょう。 ↓は当該の記事。 それでは本題に。僕は今ゲーム制作に打ち込んでいるのですが、僕のXや過去の記事を見れば分かるように、僕は夢見がちな無勤勉クソ学生として20年間も時間を無駄にしていたので、積み上げたキャリアも自信も何一つありません。(※現在、僕は二十歳なので、そんな年でピーピ
過去の遡及は苦しみを招く。 記憶に映るのは、無知ゆえに絶望の因果を招く愚かな私の姿。ああ、なんと醜いことか。もし許されるならば、いっそ殺してやりたい。 因果は自己を形成する不可逆的な事象。それは悪意を象り、善意を模る、神様の傀儡。 私を見つめるのは他ならぬ私。 再帰的な苦痛。 耐え難い。 痛い。 遠回しに私を引き付ける、悍ましい心の持ち主は誰? 思考すると脳内に住まう蛆が記憶の中で暴れる。やめろ。思わず声が出る。必死で抑える。 無視が何度も反芻する。堪えら
人生の目標を定めておきながら、生まれてこの方二十年(※実年齢二十歳です)何の成果も出さずにダラダラと生きていた僕。自己を叱りつけ、しっかりせんか! と鏡に向かって檄を飛ばすも三日坊主の繰り返し。もうすぐインターン応募の時期が迫るというのに、人生で何事も成したことが無い今の状況に、凄まじい焦燥感とこの上ない絶望を感じています。 やらなきゃいけないことは、分かってる。あとはそれをどう継続するか、という話なのですが、ここでネックになるのは人生経験の無さです。というのも、一定の