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SNS炎上させるユーザーと、共感性の裏にある排除意識

椋路 龍です。
炎上を ”起こした” ことはまだありません。

「ネットでの炎上」と言う概念が世の中に出たのが2004年頃のことだそうです(Wikipediaより)。私がインターネット上で活動を始めたのが2007年頃だったので、そのころには既に炎上は現実的に起きていて、評論や解説が進んでおり、もう語ることは何もないのではないかと思われているのではないでしょうか。

ではなぜ今更炎上の話なのかと言うと、昔の炎上と今の炎上は意味が異なってきているように感じたからです。昔の炎上は「起きるもの」でしたが、今の炎上は「起こすもの」のように感じられるからです。

炎上はアカウントに対する批判の集中によって生じます。
以前は「公序良俗に反する」「非人徳的だ」「犯罪行為、またはその助長にあたる」など、既に燃える要素がある行動や言動に対して批判が生じ、炎上しておりました。そしてその燃える要素は ”ネット上の人々から見て等しく批判を浴びる恐れがある” ような傾向が強かったように思えます。

一方、最近の炎上は「価値観の違う意見や言動」に対しても生じるようになってきました。一方から燃えるような要素が何もない、むしろ共感さえできるような情報でさえ、他方から炎上するようなケースも少なくありません。
この変化に関して、インターネット上の情報に対するユーザー意識の変化をもとに考えてみます。

SNSが発達する前のインターネット上では、人々は基本的に検索エンジンによる情報の検索、そして情報のあるサイトへの流入が使用目的でした。いうなれば「自分にとって有益になる情報を見つけること」が一番の目的です。
この時代では、ある意味インターネット上で自分の感情を表現することは少なかったのではないでしょうか。

その後ニュースサイトや掲示板、ブログ、SNSが生まれました。これによって、インターネット上で自己表現の場が一般のユーザーまで広げられた形になります。様々なユーザーは情報を制作し、公開するようになる、つまりインターネット上で自分の感情や思想などを少しずつ公開するようになります。これは「ブログに投稿」と言う大きな感情表現から「ニュースへのコメント」という小さな感情表現まで様々でした。2ちゃんねるのような匿名掲示板では匿名と言うネット限定の身分から、現実世界で表現できない感情を存分に発揮していた方も多かったのではと思います。

SNSが徐々に発達し、TwitterやFacebook、Instagramのような不特定多数のユーザーが統一されたフォーマット内で行動するSNS(↔個人ブログとの違い)では、いちユーザーの情報に対する感情表現が容易になりました。そしてその簡易的な感情表現は「いいね!」や「リツイート」など、肯定的な感情を表現することが多く、この存在によってインターネット上の情報は過去のような「自分にとって有益になる情報」から「肯定的な感情を得られる情報」、つまり「共感性」がユーザーに求められるようになりました。
昨今のSNSに関連する著書を見ると、この「共感性」が大変重要視されております。

人々が求める情報が「有益」から「共感性」に変化したことを考えれば、共感できない情報に対して嫌悪感を抱くのは納得です。しかし、共感できない情報に直面したならば、批判ではなく無視をすればいいところ、なぜか批判をしてしまうユーザーも少なくありません。

共感性がある情報に長く、身近に感じられる環境があるからこそ、SNSは同じ思想や行動のユーザーが集まるという ”利点” がありますが、裏を返せば同じ思想や行動のユーザーが固まってしまい、ユーザーが共感性のある情報だけを取得し、共感性のない情報を排除する排他的なコミュニティに成長してしまう ”欠点” もあります。また、自らの欲求を加速させることもSNSの特徴の一つであるので、「共感性のない情報を排除したい」と言う欲求ばかりを肥大化させ、とても攻撃的なユーザーに成長してしまいます。
こうして感情と欲求に支配されたユーザーやコミュニティは、共感性のない情報に対して批判し、思想に反したアカウントに対して攻撃を行うことで、「価値観の違う意見や言動」に対して炎上を ”起こす” ようになったのです。

興味ない誰かが見たら「どうでもいい」ようなSNSの投稿にさえ、炎上を起こすユーザーはいます。私はこのようなSNSの生き方を批判します。なぜなら、SNSは自分の欲求を満たすだけのツールではなく、欲求をより高次元へと成長させる世界だと捉えているからです。暴走や肥大化は、成長と異なります。自己評価を行うことなしに、成長はありません。
もちろん、今の時代で炎上が "起きる" ケースも多々ありますが、その場合は原因究明と謝罪を迅速かつ的確に行うことである程度終息に向かうような傾向にあります。

SNSに生きているのは私たちは、現実に生きているの私たちです。
あまり感情や欲求に囚われないように生きるのが、自己成長のカギです。

今日はここまで。

2020.12.25 椋路 龍


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