椋 康雄(むくのきやすお)

2020年より『関東子連れ狛犬の系譜』を noteに連載はじめました。既刊には『猫間川をさがせ』があります。 https://mukunokiyasuo.com

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    椋康雄(むくのきやすお)のプロフィール

    2022年11月自らのサイトを構築しました。今後は徐々にそちらに書いたものは移していきます。 書いた本/書いている本・note で『関東子連れ狛犬の系譜』を連載公開しています。 ・『電子雑誌トルタル』に5号から大田区馬込を舞台にした『内川逍遥』の連載しています。最新号は6号です なお過去の『内川逍遥』記事は個別版で公開しています。 第一回 家船の影 第二回 母達の足許 ・ebook でのみですが『猫間川をさがせ』を本として、読んでいただけます。 ・未完ですが『息

      • (注釈その3)広尾天現寺の虎像

         包吉が再挑戦をものにしたのではないか……と私が書いた「毘沙門堂に奉納する虎の像」は、現在残っている刻字から読み取る限り包吉の作品として最も古いものである。現在の広尾天現寺橋交差点に面した場所に境内を持つ天現寺のことだ。  虎は七福神の毘沙門天様の遣いをつとめると言われていて、『礫川』で狛犬を彫った石工鈴木保教と同じ名が刻まれた虎像が神楽坂の善國寺にあることに触れているがこれは善國寺も毘沙門天を本尊としているものだ。善國寺の虎像は広尾天現寺の虎像から十三年後の奉納との刻字で

        • (注釈その2)岩本素白『東海道品川宿』

          『品川宿』に書いた内容に直接は関係しないが間接にはとても助けになった本に岩本素白さんの随筆集『東海道品川宿』がある。 岩本 素白(いわもと そはく 、1883年(明治16年)8月17日 - 1961年(昭和36年)10月2日)は、国文学者、随筆家。本名は堅一(けんいち)。東京府麻布に生まれる、父竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。(岩本素白 - Wikipedia より)   出生地は上記の通り麻布だがその後両親が品川に住み、幼少期を品川で過ごされた。品川区教育委員会『

          • (注釈その1)南品川諏訪神社の氏子について

             京橋太刀賣の藤兵衛と包吉についてやっと書き終えられた。すぐに次の章について書き始めているが、あたりたい文献にアクセスするのに時間を要しそうでありまた数ヶ月かかるのだろうと思う。  その間に『品川宿』に関する補足情報をまとめておきたい。まずは諏訪神社の狛犬や石燈籠の奉納者について。  品川宿には複数の神社がある。まず品川神社。荏原神社。寄木神社。そして前章の舞台となった諏訪神社。狛犬の台座には「氏子中」と彫られているので地元から奉納されたことには間違いないが、奉納者の名前

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          • 関東子連れ狛犬の系譜
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            品川宿

             目が醒めたが床の中から雨戸の方を伺っても隙間の向こうはまだ暗く、おそらく開けてみてもまだ空は白んできていないのだろうと思われた。それでも躊躇せず起き上がったのは親方のもとに奉公に来て以来の習い性であって、この歳にしても変わんねぇものなんだな、と静かに苦笑する。目が醒めると左手の親指の爪を、人差し指の横っ腹に強く押し当てる。奉公に来てすぐ親方につねられたのを思い出して、起きることができるのだ。    今日は品川宿まで出かける、そのことを思い出すと包吉は物憂い気分に囚われた

            (進捗あります)次話に向けてのこと、牛の御前狛犬の補足など

            ※下ネタはキライ、という方は今回掲載している写真が不快かもしれませんのでそっと閉じていただければ幸いです。  第二話を四月にやっと公開できた。  第三話については、物語はこうではないか、というぼんやりとした像が浮かんでいて、下調べをしている段階。これから更に二週間ぐらいしても下調べが続いていれば「進捗ありません」とここで報告しようかと考えている。なお三話の主たる舞台は現在の居住地から自転車を駆れば行って確認できる距離であり、実際再訪して確認して来たいと考えているのだがこの

            千住宿

             うららかな春の日、彦右衛門は客人を客間に迎え入れた。客人といっても同じ千住宿の本陣住吉屋の主人大八が「お時間許すならばご相談したいことがある」と訪ねてきたもので気易い間柄のことである。大八は挨拶もそこそこに話し始めたが、決して多弁ではないこの友人が誰かに話さずにはおれないという様子をみせることが興味を惹き、彦右衛門も心持ち姿勢を大八の方に寄せて聞くこととなった。 「向島牛の御前にこのたび奉納された狛犬を御覧になられましたか」  大八はこう話し始めた。牛の御前でご開帳があ

            (進捗あります)次話の目処が立ちました

             2ヶ月あけて進捗ありますも無いものだがあと一週間前後で、書いていた次話の公開できそうなところまできた。優先すべき家庭事情のうちひとつは完了、ひとつは続いているがいったん収まったような事態となっており、書く時間が取れるようになった。COVID-19 感染拡大に伴い外出が買い物と散歩だけになってからは読む時間と書く時間が少し増やせている。確かめに行きたい狛犬はいくつもあるのだがそれは全て我慢して、今まで調べた資料だけで書くのだという決めができ迷いがなくなったことで却って前に進ん

            (進捗ありません)読んでいる文献のことなど

             書き始めて「進捗ありません」を使うのが早すぎるだろうと我ながら思うが仕方がない。優先すべき案件が目の前にふたつあり、ほとんど書き進められていない。自分で設定した公開目標の2月15日の実現は早速怪しくなってきた。読んでいる文献のことなど書いてお茶を濁そうかと思う。  海野弘さんの『江戸の盛り場』を図書館で借りて少しづつ読み進めている。この本は「書物復権2020年」という紀伊国屋書店の催し(?)で知った。おおもとは校正者・編集者の大西寿男さんのTwitterポストで、大西

            (進捗あります)堤方神社の狛犬再奉納のこと

             とても書くのが遅いのだがとにかく数文字づつでも書いている。1月もざっくりまだ1週間ある。次章の公開予定日である2月15日まで諦めずに書き続ける。  今日は狛犬が新しく奉納された例が近所にあったのでそのことを書きたい。  池上本門寺の近くで呑川と池上通りが交差する辺りを堤方と呼ぶ。橋の名前も堤方橋である。堤方神社は堤方から池上本門寺の墓地の方に、めぐみ幼稚園の前の坂を上ったところに鎮座している。この狛犬を再度みておこうとお詣りして、狛犬がないことに気がついたのが一昨年、2

            (進捗あります)有職故実云々の話

             次章は元々最初の章にするつもりで書いていたものを書き直している。2月15日を目標に改稿を進めている。それまで週一か隔週ぐらいで進捗を書いていきたい。  今日は「礫川」で最終的には脚注にでも書きたいと思っている、 拝殿に向かって左の吽形は角を持っている「狛犬」、右の阿形は「獅子」という姿であり、これは平安時代の有職故実以来の形に添うている。  についてのもう少し具体的なことを書いておく。  ここで私が頭に思い浮かべているのは『類聚雑要抄』という書物。 平安時代後期の

            礫川

             弥右衛門は牛天神門前に店を構える酒屋の主人である。  氏子の総代を務めているため当然のように節目節目で天神様に詣るの弥右衛門が境内の狛犬一対をみるとき、いつも微かな痛痒を心に覚える。  あれは若気の至りであったか、やり過ぎてしまったのかという後悔の念にいつも苛まれる。  まだ彼が若者組の頭であった時の出来事を思い出してしまうのだ。  弥右衛門は茶屋に入ると主人を見つけて礼を言ってから奥に入っていった。既に何名か集まっているようで声が聞こえて来た。牛天神境内にある茶屋である

            はじめに

            『関東子連れ狛犬の系譜』というタイトルで書こうと決めたのは昨年2019年の初頭で、一年経ってやっと発表し始めることとした。一年間何をしていたのかと言うと、当初は章立てを決めてそれを全て書いてしまい、書いてからどのように発表するのかを考えていこうとしていた。半年経っても進められなかったのだが、言い訳としては昨年中にも新しい発見があって、書く内容がどんどんずれてしまっていた。これでは一生書けないぞと焦り始め、決めた章立てを一本づつ note で発表していくことに決めて今に至ってい

            子供が入院した時

            うちのこどもたち、今は元気に中学校、小学校に通って部活にも熱心に参加しているのですが幼稚園在園のころに入院したことがありました。そのことをまとめたのが椋箚記に書いた「溶連菌感染後急性糸球体腎炎での入院録」というエントリーです。同じようにお子さんが入院されることとなった親御さんからのコメントが今まで多く入りました。 上記は現在のURLで、元のはてなダイアリーに書いていた「溶連菌感染後急性糸球体腎炎での入院録」の方に今日久しぶりにコメントをいただきました。要約するとこんな内

            内川逍遥 - 母達の足許

            『赤毛のアン』の日本語訳者として知られる村岡花子さんの評伝『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』は第二次世界大戦時の空襲の場面から書き始められています。  三方向に火の手が上がり、残る大森駅方面の方角に逃げるしかない、と思い定めた花子は書斎の蔵書に別れを告げていた。家にも尽きせぬ愛着があるが、ペンで生きる者にとっては蔵書は人生そのもの。少女時代、青春時代、そして仕事をするようになってから……。花子の蔵書の半分以上は洋書である。  そのとき、警報サイレンから3時間余りが経って、急

            [SS合評] 経済カースト起源についての一考察

             人類が長い文明社会の歴史を重ねてきたのちにもあらゆる差別が克服されずにこんにちまで遺っていることは驚くべきことだ。我々は長い間それが人権侵害に該当することを認識できない期間を経たのち人権問題というものを認識したのだが、その後問題を克服しようと試みてはまた新たな問題を発見するというようなことを何度も繰り返して今に至っている。  そうした人権問題についてはご存知のように様々な論点からの大著労作が発表されておりここでは私はそれらを紹介すれば事足りるような状況にある。だがここの主