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(注釈その3)広尾天現寺の虎像

 包吉が再挑戦をものにしたのではないか……と私が書いた「毘沙門堂に奉納する虎の像」は、現在残っている刻字から読み取る限り包吉の作品として最も古いものである。現在の広尾天現寺橋交差点に面した場所に境内を持つ天現寺のことだ。

 虎は七福神の毘沙門天様の遣いをつとめると言われていて、『礫川』で狛犬を彫った石工鈴木保教と同じ名が刻まれた虎像が神楽坂の善國寺にあることに触れているがこれは善國寺も毘沙門天を本尊としているものだ。善國寺の虎像は広尾天現寺の虎像から十三年後の奉納との刻字であり、鈴木保教が包吉の作品を見て影響を受けた可能性が高いように私は考えている。

 こちらが包吉の虎。

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 こちらが鈴木保教の虎。

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 どちらも良い作品である。そして鈴木保教は、包吉の造形を見て(それなら俺はこう彫れる)と挑んだのではないかな、などと両作品の尾を見比べて考える。尾をこのように彫り出すことは牙彫ではあったかもしれないが石彫においては類を見ない試みだったのではないだろうか。包吉の作品が虎像の概念を変えたように思う。なお鈴木保教の虎のもう一体は尾が欠損してしまっていてとても惜しい。台座も欠けていて、関東大震災なり第二次世界大戦における空襲なりで破損したのではないかと推測している。

 天現寺にはもう一対の虎像があり、恐らくは包吉の前に本堂前に置かれていたのではないかと思われる。「明和三丙戌年四月八日」とあるから六十九年前の奉納、素朴な造形だ。腕の違いがよく分かる。

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『関東子連れ狛犬の系譜』シリーズは少しづつ、今書いているものがどこかに響けばと願いつつ書いています。