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知らなくていいこともあるから。ときには自分で自分の目を塞ぐ

お久しぶりです。mukuです。

書きたいことがあったので久々にnoteを開きました。いま私は一人暮らしをしていて、コロナの影響もあり(といっても前よりはだいぶ制限もなくなったのでそのせいだけでは無いですが)家でオンライン講義や自主学習の日々です。1人で過ごすことは苦痛ではないし、むしろ気楽でいいやと思える方ですが、あまりにも代わり映えのない日々と誰とも話さない日々が続くとさすがに暇だな(本当は課題やらなんやらやらなきゃいけないことはあります)と思う。人恋しい気持ちになる。そんな時はtwitterやらインスタやら推しの情報を追う。コロナ渦になっていわゆるヲタクになり、簡単にSNSで最新情報やネット友達を作れる世界素晴らしいと感じています。だけどその気軽さがときに息苦しくなる時もあるんだなって気づきました。何気なく書かれた言葉の鋭さ。膨大な数の情報。一人一人の事情や日常なんてほんの1部しか知らないから、その言葉の裏にどんな思いがあるのか、真意なんて分からない。だけど一生懸命頑張ってる人を傷つけるだろう言葉が並ぶ姿を見るのは悲しい。だからこそ自己防衛をしないといけないと学びました。気になるからと調べて傷つくなら、知らない方がいいこともある。よく知らないのに曖昧な情報をもとにつぶやくとさらに情報に曖昧さや間違った印象がつき、さらなる言葉の刃になるかもしれない。だからときには膨大な情報のなかでそっと目を塞ぐことも必要だなと。推しのことや応援したいなと好意的に自分が見ている人のことはいい部分しか見えてなくて、いつかなにかのきっかけで嫌いになることもあるのかもしれない。でも今は大切だなと思う人や応援したいと思う人を自分の身の丈にあった方法で応援出来たらなと。長々と書いたけどヲタクになって良かった。愛は増えていくし、価値観も視野も広がるし、何より今自分が自分でありながら毎日を元気に過ごせているのは推しのおかげだと思う。大袈裟な言い方だけど大袈裟じゃない。出逢えて良かったなって思う出会いがこれからもたくさん増えるといいなぁ

ここまで読んで下さりありがとうございます☺️

おやすみなさい

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