知らぬ間に失っていた感覚
最近、こんな夢を見た。
薄暗い見知らぬ地下鉄の駅構内、どうやら家からは少し遠いらしい。財布にはわずか数百円。帰るための運賃が間に合うかさえ怪しい。ただでさえ心許ない中、手を滑らせ財布の中身を床にぶちまけてしまう。それを背の低い太った小汚い(失礼)おじさんがさっと取って知らん顔している。私は私で帰らなきゃと必死なので、駅員さんに言いつけてそのおじさんからお金を取り返す。おじさんはさっさと逃げてしまうかと思いきや、私の向かうホーム入り口あたりに立ち、ずっとこっちを見てニヤッとしている。こう言葉にするとかなり不気味だが、夢の中、現実と同じ21歳設定の私は、怒り入り混じる心をしゃんと正してそのおじさんを刺激しないようにさっとその場を通り過ぎる。
そこに、恐怖心が無いとは言い切れないが、子供の頃感じていたものほど深いものではないと夢から覚めてから気がついた。
子供の頃は、夢の中の追いかけてくる不審なおじさんや知らない言葉で話しかけてくるスーツを着た大きな異国人に対して、もっと底知れない恐怖心を抱いていた。夢の中でも、夢から覚めても、怖くて仕方がなかった。
そんな怖くて仕方がないという感情が大人になって薄くなっていたことに初めて気がついた。
多分、この夢の中での恐怖の対象はおじさんというよりも、財布にお金があまり入っていなくて運賃を賄えるかどうか怪しいという状況なんだろう。それも、そこまで大きな恐怖心ではない。どうにかすればお金がなくても帰れることを大人の私は知っているからだ。
知らず知らず自分の中にかつてあったはずの感覚、感情が失われて行っていることを認識した。
もう自分は大人側の感覚で生きている、と認識した。なんとも言えないさびしさを感じつつも、自覚できてよかったとも思う。
私が子供の頃、そのまだ柔らかい心に土足で踏み入り、今でもキリキリと痛みながら思い出すような傷をつけていった大人たち。もう私は、そっち側なんだ。子供と接するときには、自分がもう失った鋭く繊細な感性を彼らは持っていることを心に留めておかなくてはと思う。
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