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隠し味

その女は夕飯の支度をしていた。
有り合わせの材料とトマト缶で適当にスープを作るつもりで。
スープが出来上がり、火を消そうとした時だった。
女の鼻からふいに血が垂れる。

あっ

と気づいた時にはすでに遅く、スープの鍋に鼻血が入ってしまう。

「3秒ルール!」

と叫び、慌ててお玉でその部分だけ掬い出そうとしたものの、ボコボコとしぶきのあがった鍋の中であっという間に混ざってしまう。

彼女は自分に言い聞かせる。

「誰も見てない 言わなきゃわからない そもそも食べ物は生き物の死骸」

そう何度も呟きながらキッチンを何周か歩く。
一応、数分煮込んでから火を消した。

やがて夫や子供が帰って来て、夕食の時間に。
平静を装っているが、やましい気持ちもある彼女。
夫が言う。
「なんかこのスープ、やけにうまいね」
「‥そう?ありがと。ほめてもらったの、ひさしぶり」
「うん、今日の、おいしい」
と息子も言う。
彼女は、
「よかった。レシピが良かったのかな・・・」
と言いつつ、複雑な気持ちになる。
夫は、
「いや、そうじゃないんだ。なんか、スペシャルなものを感じる。脳汁が出るっていうか、な?」
と言って息子の顔を見る。
「うん。なんかいつもとは格が違うんだよね。だって、ぼくもパパもいつも『おいしい』なんて言わないでしょ?」
「確かにそうねぇ‥‥って、たまには嘘でも褒めろよw」
一同笑った。

まさか鼻血が入っているのがいつもと違う、とは言えない。
「うん、ちょっと隠し味がね」
と答えてお茶を濁したものの、作り手としてはちょっと面白くない。
ふだんのケチのついてない料理より鼻血入りの方がうまいとはどういうことか?

翌日、女は意地悪半分、もう半分は子供のいたずら心で二人を試してみることにする。

完成間近のカレーに鼻くそを二、三かけ入れてみる。自分が食べる分は事前に皿に取り分けておいた。

果たして、食事時、二人はやはり「今日のカレーは最高!」と異口同音に絶賛する。たった鼻くそ少々で何が変わるものかと味見してみる。どうしたことか、明らかにコクというか旨味が増している。しかし、舞台裏を全て知っている女からすれば、そんなはずはないのだ。どう考えても。

その後も彼女はむきになって自分が入った後の風呂の残り湯で炊いた米や使用済み下着でとっただしで味噌汁を作ったりとだんだんエスカレートしていく。しかし、これがどうしたことかことごとく大絶賛。自分で味見をしても三ツ星レストランのシェフもかくやというほどの味が出来ているのだからわけがわからない。

彼女は結局、自分はとにかく良いダシが出る体質なのだと結論づけた。そうとしか思えない。そして、かくなる上は、これから先自分が人生に失望し、自殺することがあったなら、その時は山形県の河川敷で毎年行われる大芋煮会で特大の鍋に飛び込んで大いに人の役に立ってから果てようと決意するのだった。

芋煮会


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