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モンキーマジック

某ブラック系運送会社に勤めるMから聞いた話。仕事のキツさと長時間労働では定評のあるその会社は慢性的な人手不足で忙しい。そのため、「世間的にはかなり問題のある人でもけっこうクビにならずに働ける」とのこと。

「今度おれの部署に来た人はさ、忙しくなってテンパるとまともに喋れないし、ブツブツ独り言言いながら自分の世界に入っちゃったりして、もうほとんど“猿”になるんだ。」

「“猿”?」

「『◎◎さん、さっき渡した伝票はどこ?』って訊いても、『オッ』だけ。『◎◎の書類どうなってるの?』に対しても『オッ』。全部こんな感じ。会話にならないんだよ。」

「…それじゃ仕事にならないよね(笑)」

「普通はクビだよね。だからさすがにウチでも社内をあちこちたらい回しにされて来たみたい。」

まともにコミュニケーションがとれない上にケアレスミスも多い。間違いが多いだけならまだしも、けっこう神経が図太くて、忙しい最中にしばしば姿を消す。「あいつどこいった?」と見回せば、一人物陰でタバコを吸っていたりする。本人は隠れているつもりのようだけど、柱の影からこちらの様子を伺っているのがバレバレ。

「きっとこれまで相当殴られたりしてるはずなんだよ。ウチは喧嘩っ早い奴多いから。それでも辞めないで続けて来たんだなって感心する。」

配送や集荷に連れて行けば、「もうあの人を寄越さないでくれ」とクレームをもらうのもしょっちゅう。どうしてかというと、客先のかわいい子に付きまとってしまったり、女性だけの職場のトイレを勝手に使い、中でずっと独り言を言っていたなどということが多く、とにかく挙動不審なのを気味悪がられて方々から出入り禁止を言い渡されるのだと。

そんな彼がある日の帰り際、Mに言った。

「M、今日送っていこうか?」

「え!?…◎◎さん、免許持ってんの?」

「持ってるよ。会社が運転させてくれないだけ」

一応面接などして採用されているだけあって、いつも喋れない訳じゃない。だけど、ふだんの姿を知っているだけに彼の運転に身を任せるのは正直怖かった。が、話のネタにはなると思い、送ってもらう事にした。

車に乗ると、さらなる驚きが待っていた。いざ運転ぶりをみれば、車線変更はもちろん、抜け道もよく知っているし、ちゃんと人並みの集中力と注意力を発揮して都内の複雑な道を運転できているではないか。Mは職場での彼とのギャップに唖然としつつ、隣でハンドルを握っているのが“猿”であることを確かめるように何度も見直した。

彼はいつになく饒舌に話したという。生い立ち、これまでの仕事遍歴、世田谷に自分のマンションを持っていて結婚もしていること、その奥さんとは友達と旅行した時のナンパをきっかけにしてつき合い始めたこと、などなど。話を聞くうちにだんだん頭が痛くなって来た。どうしても自分の知っている“猿”と同一人物とは思えないのだ。そうこうしているうちに何事もなく家に送り届けてくれて、その日はそれで別れた。

翌朝、職場で彼を見つけたMは駆け寄っていった。

「◎◎、おはよう。昨日はありがとう。」

ところが、やっぱり帰ってきたのは、

「オッ」

という返事。完全にいつもの“猿”に戻っていた。
ただ、ほんの一瞬、目と目が合った時、

「おれたち、昨日はちゃんと通じ合ってたよな?」

という目をしたのだという。

Mは同僚たちに昨晩の“猿”の様子を話したが、誰一人としてまともに取り合ってくれなかったという。

ぼくはその話を聞いて笑った。Mが相手を“そういう人”だと思い込んでいたのが一瞬でひっくり返るのが痛快だったから。

笑ったあとで、少し切なくなった。

彼は基本的に職場では“猿”だと思われているし、一段下等な生きもののように扱われている。「あいつはああいう奴だから」と決めつけられて味噌っカスとして扱われることが、パワハラが当たり前の職場で、彼を救っていることもきっとあるだろう。でもそれが彼の全てではなかった。無意識にでも仮面をつけて人と関わらなければならないことの孤独、四六時中蔑視され続けていることの屈辱はいかばかりか。

Mは“猿”なんて言い方をするけれど、実はとても優しい男だ。だから相手に怒ることはあっても、他の同僚たちに対するのとは違って彼が「車で送ろうか」と声をかけてくるだけの親しみがあったのだろう。

Mは「そいつ、けっこうやさしいんだ。おれに怒られたあとで『M、さっきはごめんな。』なんてしおらしく謝ってくるし。」と言う。

彼は自分は猿ではないことを知ってほしかったんじゃないだろうか。たまには怒りや焦りや屈辱といったネガティブな感情の伴わない心の交流がしたかったのかもしれない。

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