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⑧ ”生きづらさ”を解消するために 〜ChatGPTなどの人工知能を通して〜


 まあ、長い間かかって、ChatGPTなどの人工知能や自然言語処理AIと向き合いながら、「人間の感情や生きづらさ」とは何か、考察を進めてきたわけだが、もうここまで来たら、懸命なる読者諸君も、おなかいっぱいだろう。


 結局、人の体には何が起きているのか、そして、どうすれば生きづらさは解消できるのか。その作用機序を追いかけながら、ステップごとに「どのように生きづらさが発生するのか」についても考察してきたわけだ。

 原理はわかった。何が起きているのかもだいたいわかった。あとは、どのようにそれを解決してゆくか、ということである。

 ここまで8回にも渡って書いてきた話、あまりにも長いので、さくっとまとめておこう。


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■ 人間は肉体と感情が結びついている。それは感覚器が神経回路と結びついていて、肉体や感情を動かす基礎レベルのOSのようなものが動いているからだ。

■ 感情OSの上に「言語処理」という別のシステムが乗っかっている。本来はこの2つは別ものなのだが、感情OSの動きを説明したり、定義したりするのに、「言語」を用いないとできないため、リンクしているように感じる。

■ リンクしているのは「感じる」だけなので、意識的に切り離して考えることもできるし、つなげて考えることもできる。

■ 「生きづらさ」は、感覚器や感情を元にした感情OSのほうで起きている。ただし、単発の痛みで生じるというよりも、反復学習や条件付けによって「刷り込まれてゆく」ものに近い。

■ 感情は言語でしか説明しえないので、人は感情について考える時必ずことばを用いる。それを逆手にとって「言語を修正することで、感情や痛みを和らげる」ことはできる。(認知療法)

■ ことばだけでなく、感覚器に作用するように、行動(身体)を同時に用いる方法もある。(認知行動療法)

■ けれど、感情OSそのものの「刷り込み」が解消されたわけではないので、本来であれば「生きやすい感情」や「心地よい感情」や「幸せな気持ち」で、何度も何度も反復し、上塗り学習をしてゆく必要がある。

■ 感情OSそのものにおいて「生きやすさ」が上書きされ、なおかつ、言語処理でも「生きやすい」ことばが集積されれば、それを「幸せ」という。

■ 生きやすい人たちは、感情OSに戸惑いやつまずきが少なく、なおかつ言語処理でもポジティブな運用が行われているのだろう。それは「生育歴」「環境」「成功体験」などの反復学習・積み重ね・良きことの条件づけなどがたくさん集まった結果である。


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 まあ、そういうこっちゃ。

 ……では済まない。

 結論から言えば「人生の積み重ね」がそのまま「生きづらさの積み重ね」や「生きやすさの積み重ね」に集積されてゆく、という恐ろしい話なのだが、だとすれば「親ガチャ」「遺伝ガチャ」「環境ガチャ」に外れた人間は、どうあがいても生きづらさが解消されないことになってしまう。



 ここからは解脱者ムコガワならではの解決法に入ってゆこう。

1)まず、作用機序を知る。理解する。

……プロのムコガワさんでも、ここまで8回にも渡って考えないと何が起きているのかわからなかったくらいなので、ド素人では「自分がどうなっているのか、何が起きているのかわからん」状態で困り果てていることだろう。

 だから、生きづらさの原因やその動きを、とりあえずは知る必要がある。「自分にこんなことが起きていたのか」と納得することだ。これまでの8回の連載を読むだけでも、納得度が違うと思う。


2) 言語処理のほうからパッチを当てる。

……感情は言語でしか説明できない、というシステムである以上、認知療法や認知行動療法は「一定の効果がある」ことは認めたい。

 たとえバグであっても、「考え方を修正して、上書きする」ことで、生きづらさが緩和されるのであれば、それは利用していいだろう。

 ここで、ひとつ注意事項がある。ChatGPTは「ことばの頻出度合いと関連度合いを推し量りながら答えを抽出してゆく」という特性がある。つまり、「ネガティブな話や、トラウマに関わる話にずっと触れていると、出てくる答えがそっちに傾く」ということだ。

 人間もまったく同じ。たとえばあなたが宗教2世だとして、それによって生きづらさを覚えているとしたら、「宗教2世ネタ」ばかり追いかけたり、宗教2世の人たちとばかりツイッターで会話していると、あなたの脳みその中の言葉の言語が「そればかりになる」わけだ。

 そうするとChatGPTと同じで、出てくる答えも「関連性の高い、その話ばかりになる」のは自明の理だ。それなら、その話題から離れたほうがマシである。

 よく「ただしい依存とは、依存先を増やすことだ」なんて言われるが、あなたの脳みその原簿が「世界に対して幅広い、あらゆるジャンルに開かれた内容」で書かれていて、そちらに興味関心が向いていれば、少なくとも「生きづらさ」の部分は薄まるだろう。

 逆に「寝ても冷めてもトラウマのことしか考えてない人が、トラウマから自由になれるわけがない」という至極当たり前のことにも、気づくべきなのだ。

 「生きづらさ」を上書きするためにも、外界から別のデータをインプットする必要がある。それは新しい世界や知識、そしてできることなら、新しい世界観の人たちに出会うことである。

 なので、これもベタで一般的だが、「新しい学校へ進学したり、就職したり、引っ越したりする」ことは、一種のチャンスになるわけだ。


3) 愛を知る。愛される。

 ……いきなりなんの話やねん!と思われるかもしれないが、言語処理のほうにパッチをあてて、社会生活の上では「なんとかそれっぽく生きる」ことは充分可能だが、根底に残っている「感情OS」の部分の生きづらさは、実はあまり解消していない。

 それは感情と感覚器に繋がっている基本OSの部分なので、こどもの頃に親や周囲から受けるべきだった「無償の愛情」などの集積と刷り込みによって形成されている。

 なので、その根幹部分を埋めてゆくには、「誰か善意ある人たちからの優しさ」に触れなくてはならない。それも「何度となく繰り返し、反復学習」する必要があるのだ。

 そこまでしないと「感情OSは上書きされない」可能性がある。

 これは、もともと「他者からインプットされるもの」なので、上書きするにも「他者からのインプット」が大いに関わるだろう。他者から与えられないものを「自分でなんとかする」のは、かなりつらいし、難しい。それが自力でできる人は、「生きづらくない」ので、もう解決しちゃえるに違いない。(自力でできる人は、言語処理に優れていて、認知のパッチの当て方がうまい可能性もある)

 となれば、ある人間が他者の愛情なり、善意にいちばん触れる可能性が高いのは「異性や好きな人に出会った時」ぐらいしかない。

 その時に、よほど意識して「愛情の交歓」を行う必要があるだろう。つまり、「愛情を素直に受け止めて、愛されることを意識する」ことだ。

 生きづらい人は往々にして、そもそも「愛情を受け取るのが下手」である。相手を信頼できなかったり、あらぬ疑いを抱いたり、自分の本心と逆のことを言ってしまったりする。

 そこだけ、気をつけよう。せっかくのチャンスなのだ。「無条件の愛情」「他者からの善意」を受け止めて、あなた自身の感情OSを上書きする、数少ないチャンスをぜひ活かしてほしい。

(相手の悪意によって、モラハラに遭ったり、搾取される場合は、この限りではないが・・・)


4)おまけ 筋肉は裏切らない。

 生きづらさに「ヨガ」やら「禅」やら「呼吸法」が効くだの効かないだのは、感情OSに肉体側から働きかける試みなので、一定の効果はあるだろう。

 しかし、「ヨガ」の精神や信仰が効いているのではない。「禅」の仏教が素晴らしいのではない。マインドフルネスのスピが効いているのではないのだ。

 これは間違ってはいけない。肉体の側から「整える」「アプローチする」のは認知行動療法の原理と同じなので、精神性や宗教はスピは無関係だ。

 つまり、「筋肉は裏切らない」のほうが、はるかに真実なのである。

 これも作用機序を理解していれば、無用なワナに陥らずに済むだろう。

 自転車漕いでもいいし、登山でもいい。どちらかというと集団スポーツより、一人でその作業に肉体と向き合える活動がおすすめだ。ぼっちキャンプもいいかもしれないし、水泳なんかもいい。

 私はものづくりを別アカでやっているので、一心不乱に楽器を作る。木を刻む。

 肉体をただあるがままに動かしている時は、「生きづらさ」とは無縁である。プールで泳いでいて生きづらさを感じるヤツはいない。自転車を漕いでいて生きづらさは感じない。ノコギリを動かしていて生きづらいヤツはいないはずだ。

 つまり、身体が「生きづらさ」以外の感覚に乗っ取られているのである。それもまた、いい意味で「上書き」されていることになる。


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 こうして書いてゆくと、「生きづらさ」の解消には、まだまだあなたが試していないいろいろな方法がありそうだと気づくだろう。

「何で上書きしてゆくか」

を意識すれば、人生はかならず好転する。

 間違っても「トラウマのネタで上書きしよう」とはするな。これは最低限の忠告だ。あなたの脳内がそれで埋まってしまうからだ。ChatGPTもそう言っている。

 できるだけいい人に出会い、その幸せを分けてもらおう。ChatGPTでさえ、モラハラヘイト野郎とつきあえば、暴言を吐き始めるのだ。

 あなただってそうだ。誠実な人に出会える環境を探すほうがいい。

 そして、もし余裕があれば、あなたの周りの他者、他人、弱っている人に、ほんのすこしでいいから、親切にして、優しくして、善意をむけてほしい。

 その回数と、そう思ってくれる人がどれだけ増えるかで、社会全体の生きづらさは確実に解消されてゆくからだ。これは理想や理念でそう言っているのではなく、数学的な理屈なのである。これはチューリングが言っていたとおり、計算可能な話なのだ!


 善意と誠意の回数と、積み重ねのほうが多くなれば、社会はかならず良くなる。

 そして、もしあなたに子どもがいれば、「無償の愛」を注いでほしい。条件付けをせず、ネガティブやマイナスの刷り込みをしないように、気をつけてほしい。

 その回数と積み重ねで、あなたの子どもは幸せになるかどうかが決まるのだ。

 

(おしまい)




 



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