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『この世界の歩き方 7』 〜地球と人類は滅びるのか?〜


 地球温暖化に関する問題は、ここのところ長年世界規模での課題になっています。SDGsなんて言葉が流行して「持続可能」な社会を模索する動きも活発です。

 グレタさんという若い女性が環境活動家としてバリバリやっている姿を見て、僕たち私たちも、「世界はヤバいんじゃないだろうか?」と不安になったりもします。

 つい先日はトンガの火山が大爆発して、成層圏に達した火山灰などのせいで、不作による食料不足が起きるのではないか?なんて心配もされています。

 ああ、世界は!あるいは地球や人類は、このままいつか滅びるのでしょうか?


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 解脱者としての答えは簡単。ええ、いつかは滅びます。必ず。としか言いようがありません。

 今から46億年前に地球は誕生したそうですが、めちゃくちゃシンプルに言えば、太陽が熱量を届けてくれているから地球上の生命は生きていられるだけで、太陽もいつか星の終わりを迎えて超新星爆発でも起こせば、同時に地球にも熱が届かなくなり、全滅です。

 いのちというのは、とっても簡単な話で、要するに

「電池」

なんですね。

 電化製品やスマホが動くのは、電池のおかげです。電池は、そこから電子がぐりぐり動きます。ぐりぐり動いた電子が回路を回るので、電化製品は使う、動かすことができます。

 電池がなくなる、というのは、見ためにはまったくおなじですが、内部で「電子がぐりぐり動かなくなる」ということなのです。電子が動かなくなると、回路に流れることができず、全体として停止します。


 僕たち私たちは、電気で動いているわけではありませんが、熱で動いています。絶対零度という温度がありますが、この温度になると原子が動くことができなくなります。それはすなわちーエネルギーがゼロになる状態を意味します。

 ちなみに、絶対零度は「ー273℃」ですが、太陽から遠く離れた宇宙では「ー270℃」ぐらいだそうです。ちょびっとだけ原子や分子が動いている余力があるということですが、ほとんど動けません。

 ということは、太陽が失われれば私たちは熱量が不足するので、原子が動き回ることができず、停止します。

 ほとんど電池で動いている電化製品みたいなもので、熱量がなくなればみな死に絶えてしまうわけです。


 ということは、太陽がなくなるまでの間だけ、私たち生命や人類は、「とりあえず今は、ここにいられる」というだけに過ぎません。

 第1回からずーっと、人類の歴史と人口の増減についてみていますが、そうした歴史を見ても、ようするに「太陽がなくなるまで、どれくらい次の世代を繋いでゆけるか」ということだけなのですね。人類や生命というのは。

 今のグラフの感じだと、「太陽が無くなる前には、充分早い段階で日本人は滅びるだろう」と予測できます。まあ、その時点でアフリカの人たちはまだ残っているので、人類滅亡とまではいきませんが、「日本人滅亡」くらいにはなっているかもしれません。

 どのみち、人類史上、人類が一番幸せだった時代はもう過ぎているし、折り返しに入っていることは確実なので、あとはその下降グラフをどれくらい緩やかに引き伸ばせるか、というだけの問題なのです。

 トキとか、ツルとか、カワウソとか、そういうのがしだいに絶滅してゆくのと同じで、「なんだか昔はそこらへんにいっぱいいたのだけれど、この数十年でめっきり減ってしまったねえ」ということが起きます。

 ただ、それをこの目で見られるのは、「あなた」ではなく、「あなたのひ孫」くらいの世代からだ、ということです。

 もっとも、これも以前にお話したように「あなたが絶滅」するほうが早けれど、その後の未来なんて知ったこっちゃありません。あなたはもう、今の時点で絶滅しているからです。


 そうすると、人類には2つの選択肢が残されていることになります。それは未来の孫やひ孫に対する2つの姿勢、スタンスです。

A できるだけ孫やひ孫によい環境を残し、できるだけ生き延びてもらうために、地球環境を少しでも現状からダウンしないように、保全する方法。


 これがSDGsの考え方です。現状から悪くなるのが規定路線なのだけれど、それをなんとか押しとどめたい、という姿勢ですね。それは何のためにそうするかというと、未来にいるであろう孫やひ孫のためにそうするわけです。あなた自身は、せいぜい数十年もしないうちに死ぬので、SDGsに取り組んだ結果がどうなったのかは、確認できませんが。


B 孫やひ孫にできるだけよい環境でいてほしい、と思っているどころか、それによる少子化で、滅亡するのだから、環境はほったらかしておいて、取り合えず産むという方法。


 アフリカで続いている人口増加は、こちらを意味しています。よい社会制度、学校制度、経済制度はまだまだ未発達で、けして産んだこどもにとって最善の環境ではないけれど、とりあえず人口増の方向で、「産んどけ」もしくは「生まれてしまう」という方向性です。

 環境を守るとか、地球温暖化とかはあまりよくわからないけれど、サバンナは今日も動物たちが駆け回っているぜ、という世界観です。


 えーっと、ここでみなさんに予想してほしいことがあります。AとBとどちらのほうが、人類が生き残る率が高いと思うでしょうか?

 地球の環境について考え、子孫がより高い教育を受け、より高度に文化的な暮らしができるようにお父ちゃんは今日も会社で頑張るね、という社会と、よくわからんけど、アフリカの大地では今日も貧しいけれど大家族、という社会と、最終的にどちらが地球の姿なのか、ということです。


 第1回からここまで読んできた人は、おおむね予想がつくのではないかと思います。ええ、おそらく500年後とかにはアフリカの人たちが、まだなんとか生き残っていて、日本やら欧米では、生きも絶え絶えの絶滅種が細々と廃ビルの隙間を洞窟にしながら過ごしている、という可能性もありそうだな、と。


 ということは、みなさんが今見ている世界についての「これが正解だ」「これが正しいだろう」なんて予想は、ほとんど無意味だ、ということなんですね。

 高度経済社会も、資本主義も、グローバル社会も、ある程度の人口があって、技術が残っていて、未来の世代が残存していれば成りたちますが、それよりももっと早いスピードで人口減少が迫れば、結局農村社会で自分たちの食い扶持を支えるだけか、あるいは狩猟採集社会に戻る、ということなんです。


 もっと極論を言えば、「先進国のような高度社会を維持するスピードより、人口減少のスピードのほうが早かったら、高度社会は維持できない」ということです。

 これは、日本の産業構造を見ているとよくわかります。

 もうすでに、日本ではパソコンを作ることができるメーカーがほとんど無くなっているし、家電やテレビを作ることができるメーカーが無くなっていますよね?

 家電作りやテレビ作りをSDGsして維持するスピードより、海外製品に駆逐されるスピードのほうが早ければ、当然自国では生産できなくなります。それが作れる人材も枯渇してゆくのです。

 同じように、人口が激減した日本国内では、せいぜい手作業で米づくりくらいは残っているでしょうが、その他の衣服や、生活用品は海外から輸入してもらうしかありません。それくらいには落ちぶれます。

(まあ、いまでも大半の生活用品や衣服は、アジア製ですから同じなんですけどね)

 しかし、私たちはまさか将来がそんなことになるなんて、今の段階では思っていません。それはまだなんとか人口と経済レベルが、大国で先進国だから、そう見えていない、というだけのことなのです。


 奇しくも新型コロナ禍で、マスクが足りなくなったりしました。先日の火山の噴火で、作物が足りなくなるかもしれない、との心配もされています。

 マクドのポテトも足りません。建材の木材も足りないし、半導体も足りないし、給湯器も足りません。フッ素もないそうです。尿素も足りないとか。

 でもまだ、ごくごく一部の欠品で済んでおり、まだ大半のものがスーパーやモールに溢れているので、気づかないだけです。これが生活用品の30%〜50%くらい「あれもない、これもない」ということになれば、誰もが気づくようになるでしょう。

 ヤバい、これでは日本は絶滅する、と。


 その日は、意外と早くやってきて、あなたもその目で見られるかもしれません。


 今回のまとめです。

 地球や人類が滅びる前に、日本人が滅びます。

 それは、中出しセックスの総量が減っているからです。ゴムをつけちゃあ、人類は滅びるのかもしれません。


(次回へ続く)



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