僕たちはタリバンのことなど、なーんにもわかっちゃいない。
あの世界警察なるアメリカが撤退したことで、一気に注目を集めたアフガニスタンだが、これから「タリバン」の勢力が盛り返すだとか、再びテロの温床になるのではないかとか、日本の自衛隊が救出できたのは15人だけとか、いろんな話が飛び交っている。
そんななかで、「自由」の代弁者であるアメリカが逃げ出したことにより、アフガニスタンやら、あるいはアラブや中東では、いっそう「イスラム主義による、人権の不平等」が進むのではないか?なーんてことに関心を抱く人が増えているのが事実だろう。
テレビの向こうの映像を見ながら、「アフガンはこれからどうなるんだろうねえ。日本は自由でよかったねえ」と、お茶の間でせんべいをボリボリとかじっているおっさん、おばはんが山ほどいる、というわけだ。
もちろん、ムコガワは解脱者なので、別にアメリカ側、日本側、西側の自由とやらも、半ばうさんくさいものとして捉えているし、いわゆる「リベラル」がいろんな意味で欺瞞や限界を抱えていることも知っている。
たとえばだ、イスラム教においては「女性は庇護されるべきものとして極端に生き様に制限を加えられている」としよう。西側自由諸国は、そのことを「男女平等に反する」として非難することが多いが、一方で、西側諸国では「忌避される食べ物がある文化が存在するので、ハラールに適合する食材を用意してあげよう」と考える。
昔、都市部に住んでいた時に、国際的な機関であるJICA(国際協力機構)の食堂でごはんを食べるのが好きだったが、当然ハラールに従った異国のメニューも並んでいるわけである。これがまたうまい!よもやよもやだ。
ところで、よく考えると、「男女差別をする」のも「ハラールを守る」のも、どちらもイスラム教に基づいた、彼らの国においては別段不思議でもなんでもない、「準拠すべき規範」である。
ところが、西側自由諸国は、「男女差別はダメ」で「ハラールは別にOK」というジャッジを下している。いったい何の権限によって、イスラム教下の人たちの生き様を判定しているのだろうか。それは、「西側の基準」においてのみ、一方通行で判定しているわけだ。
このことを良しとすべきか、それとも悪しとすべきかは、ムコガワは解脱者なのでどっちでもいいのだが、覚えておきたいのは、「自由とは恣意的なもので、公平かどうかは分からない」ということである。
そんな折、興味深い記事を見つけた。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021092600008.html
「アフガニスタンの女性の人権をどう考えるか」という清末さんという方のお話である。
この中で、「ブルカ」について、これを「女性抑圧の象徴」と捉えるのは、西側の一方的で外野の意見なのではないか?という視点が出てくる。
イスラム文化圏においては、それは歴史的に発展しているため、
◆ 文化なので、彼らにすれば普通の外出着である
◆ 都会に行くための、(かっこいい)よそ着なニュアンスがある
というような視点だ。
けれど、西側自由諸国は「ブルカを強制するのは、人権侵害で女性差別の悪行三昧である」と見ているわけである。
さて、
あれ?
とこの記事を読んでいて思った。あっれれー、おっかしいーぞ?である。
日本のある場所では、伝統もしくは文化にのっとって、「ある服装」が「強制的に着用させられている」事実がある。
それは男女によって異なり、自由に選択できないので、差別的ですらある。
それは、どこのどの服装のことか。……学校における制服である。
ものすごくわかりやすい例だが、男子はスラックスを強要され、女子はスカートを強要されている。逆はダメだ。一部の学校では「女子もスラックスを選択できる」制度が取り入れられているそうだが、高校3年生男子の「マツコ・ストラディバリウス」くんがスカートを穿いて登校することは認められていない。男女差別だ。
そうなのだ、西側自由諸国の論理を素直に当てはめれば、学校はタリバンなのである。ブルカどころか、ついこのあいだまで「ブルマ」を強制していたような学校制度は、タリバンと同レベルの人権侵害機関なのである。
学校は男女差別で、人権侵害でタリバンである。タリバンも学生という意味だが、似たようなもんだ。学校はタリバンなのだっっ!
とまあ、きちんと理屈と手順を踏んで考えるとそうなのだが、恐ろしいのは、そのことについて99%の日本人は、「別に制服があっても、女子がスカートでもいいんじゃない?」と思っていることである。
それよりもむしろ「マツコくんが、スカートを穿いて学校に来るなんて、それはアウト!デラックスだわ、キモいわ」と思っているのである。
これはめちゃんこ恐ろしいことで、99%の日本人も人権侵害を好んでやっているということになるわけだ。
このことをタリバンとアフガンについて当てはめると、真実はこうだ。
「彼らは文化と伝統にのっとってブルカを着用しているのだから、ブルカを取り上げたり、男子にブルカを平等につけさせたり、とにかくブルカについてとやかく外野が言うのは、よけいなおせっかいである」
ということなのかもしれない。
あるいは外国のブルカについてぎゃーぎゃーいう前に、マツコ・ストラディバリウスくんがスカートを穿いて登校できるように応援活動をするほうが先であり、そっちのほうがよほど国内問題だ、ということなのである。
しかし、ここでムコガワが、「全国スカート男子協議会」を立ち上げて運動をはじめても、99%の日本人は無関心で、「どうでもいい」と思うことだろう。
そのことは責められない。そんなもんだ、人間だもの。
けれど、それで同時に思うのだ、あるいはわかってしまったのだ。学校が人権侵害機関だなんて、気づきもしない僕たち私たちは、きっと
タリバンのことなど、これっぽっちもわかっちゃいないのだ
と。
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